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飛騨千光寺住職大下大圓さんに聞く (上) インタビュー ()・()・(
円空の祈り
 
月空の祈り
被災体験 創作の原点

 ◆聞き手 編集局次長 小野広司

 ―円空が彫った仏像からはエネルギーが強く伝わってくる。円空を創作に突き動かしていたものとは。
 「人間の大きなエネルギーの背景には、負の要素があり、隠されたメッセージがあると思う。円空は幼少時、長良川の水害で母を亡くしたといわれている。その生い立ちが生き方を決めたのだろう。自然災害で肉親を亡くすという点で、大震災以降の東北が抱えているものと重なる。悔しいけれど、しょうがない―という状況の中で、その気持ちを生きる力に変えていったのが、円空の場合、仏を彫ることだったと思う」

 ―そのエネルギーをもって生涯、行脚を重ねたのか。
 「円空が遺(のこ)した仏像で足跡をたどると、青年期、木を加工する木地師が多くいた美並村(現岐阜県)で過ごした。その後、各地でいろいろな仏教と出会う。千光寺では密教を理解し、伊吹山(滋賀県)では修験の修行をした。奈良・法隆寺では血脈(けちみゃく=師から弟子へ仏教の精髄を受け継ぐ関係)を受けた。亡くなった岐阜県関市の弥勒寺は天台宗の寺。神道や仏教など、いろいろな教えを貪欲に取り入れ、それが多彩な像に反映された」

 ―旅の難しい時代に東北、北海道まで赴いている。
 「僧の移動が禁じられた江戸時代、非常に不安定な旅だったろう。青森では追い払われたりしている。しかし、円空には『それでも行きたい』という情熱があったはず。目的地があったというより、行った先で『この先にはこういう所がある』と聞き『次はそこへ行こう』というように旅が続いたのだろう。それが縁。例えば円空が人々に『こういう薬草がある』と教え、村人が歓迎し、円空もお礼に像を彫る。こうした人とのつながり、息づかいの中から円空は何かを見つけ、それをエネルギーとして旅を続けたはずだ」

 ―出会いを求め続けたのか
 「大事にしたのが庶民との交流だった。生老病死を抱え生きる人たちに少しでもやすらぎとなるよう仏様を作り与える。仏様を彫り、これを拝めばやすらぐよ―と一緒に祈ったのだろう。庶民と同じ目線に立ち一緒に悩み苦しむ。そういう姿勢が円空の中にはある」
(2015年1月29日 円空の祈り)
 《題字は千光寺住職の大下大圓氏》
 


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