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俳優 滝田栄さんに聞く (上) インタビュー ()・()・(
円空の祈り
円空の祈り
円空作「金剛力士(仁王)立像 吽形」(部分、江戸時代・17世紀)=千光寺
 
月空の祈り
江戸災害期の革命児

 ◆聞き手 文化部長・鈴木博幸

 ―滝田さんは俳優として第一線で活躍しながら、仏像彫刻を始めた。そのきっかけは。
 「世界タイトルマッチに臨むボクサーと同じ覚悟で挑まなければ舞台で感動を与えられない俳優業と同じで、仏像制作も本気でやらなければ彫ることはできない。僕は23〜24年前に母親を亡くした時に母親の供養のために彫り始めた。母親は心臓に病気があり、大変な人生だったが、僕たちのために一生懸命働いてくれて、育ててくれたいい母親だった。それまでは彫刻は何もやったことがなかった。ただ、父と母が生前、何教でも何宗でもなかったが、毎朝仏壇に手を合わせていたことだけは覚えていた。僕が観音様を彫ることで、母親にあの世で安らかにいてほしいと願い、彫った」
 
 ―滝田さんから見た日本の仏像とは、どのようなものか。
 「文字を読めない人が多い時代、文章や教えでは理解できない人たちのために、目で見ることのできる経典としてできたのが仏像だと思う。富士山が爆発(貞観噴火、864〜866年)し、貞観地震(869年)が起きた時代、仏教文化が花開き、民衆は皆、心のよりどころとして祈ることを知った。激動期の奈良時代から鎌倉時代にかけて、人は柔らかい心、和を実現するものとして仏様を求め、目に見える経典である仏像を求めた。そして(仏師の一派である)慶派が生まれ、運慶、快慶を出した。慶派の人たちはこれ以上表現するものがないというくらい、頂点を極めた。そして、仏像は進化しなくなり、形だけの仏像になった」
 
 ―そして円空が登場する江戸時代へと時は流れる。滝田さんが円空の研究に携わったのはいつからか。
 「仏像を彫り始めた時は円空を知らず、興味もなかった。ただ、10年ほど前の話だが、NHKから円空の番組出演の話があり、台本から任され、各地の円空仏に触れた」
 
 ―仏像の歴史をたどる中で、円空の位置付けとは。
 「戦国時代が終わり、安定した江戸時代が続いた江戸・元禄期に至るところで、日本を再び大きな災害が襲った。その時、円空が現れたと思う。革命児であり、時の権力のためではなく、庶民のために必死に仏像を彫った僧だった」
(2015年1月13日 円空の祈り)
 《題字は千光寺住職の大下大圓氏》
 


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