円空と私

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 福島市の県立美術館で3日に繰り広げられた俳優の滝田栄さん(64)のトークショー。滝田さんは「福島で円空さんに出会えるとは思わなかった」と円空仏への特別な思いから話を切り出し、円空仏の知られざる逸話を披露した。講演内容を3回にわたって紹介する。

 

(上)仏像 目に見える経典 知られざる秘話 15/03/04
仏像 目に見える経典 知られざる秘話

滝田さん(右)のトークに聞き入る聴衆=3日午後、福島市・県立美術館

 (日本の仏像の歴史をたどると)奈良時代から鎌倉時代にかけて(仏師の一派の)慶派ができ、あまりにも立派で、如来も菩薩(ぼさつ)も慶派の人が彫った のならば何も言えないような仏像が生まれた。慶派は運慶、快慶を出し、これ以上表現するものがないほど極まるが、それは権力者のための仏像だった。特に鎌 倉時代は怨念が入り乱れた時代を鎮めるものとして(権力者が)仏様を求め、たくさんのお寺が造られた。
 鎌倉時代以降、仏像は全然変化をしなくなった。見る人を感動させられるものではなくなった。しかし、江戸初期、元禄の時代に突然、円空さんが現れた。権 力の命令によって作られた立派な仏様ではなく、道で苦しみ、悲しみにまみれながら泣いている人たちのために小さな木々に仏様を彫り、手渡した。円空仏に触 れた人々のほとんどは、難しい仏教の学識には縁のない人たちだった。まさに、仏像は目に見える経典であり、円空が生涯を懸けて彫り上げた12万体という仏 像の数は素晴らしいものだ。
 円空仏は丸太を三、四つに割ってから作るが、なただけではなく、のみと金づちも使っていたと思う。目や鼻を付けただけの簡略した仏像もある。世間に評価 されたいと思う仏像ならば、あそこで彫ることをやめたりしない。(普通の仏師は)もっと彫った方が良い仏像ができると思ってしまうからだ。
(中)純粋な祈りに触れ涙 生きた道をたどる 15/03/05

円空への思いを語る滝田さん

 私が仏像を彫るきっかけは、母を亡くしたことだった。大阪で舞台「レ・ミゼラブル」を演じた時に母が亡くなった。母に「ありがとうございました」という 気持ちを伝えるために仏像を彫った。
 「レ・ミゼラブル」の主演を終えた時、本当の仏様の教えに触れてみようと思い、インドの密林で2年間、腰巻き1枚で修行した。お釈迦(しゃか)様はどの ような道をたどり、何に到達したかを真剣に考えた。
 インドから帰国して1、2年後にNHKから円空さんの番組をやってほしいとの誘いがあった。作家が物語を書けなくなり、自分に回ってきた話だったが、自 分なら何かできるかな、と思ってしまった。円空さんの生きた道をたどりながら、時には円空役を演じるという番組だった。
 岐阜県の伊吹山で撮影した時、円空の思いに触れた。円空が伊吹山で一切の五穀や生物を絶ち、木の実や葉だけを食べて過ごす木食(もくじき)の行をしてい た時に、北海道で有珠山が爆発した。円空は北海道まで困難な道を一人歩いていく。
 円空が有珠山の爆発を鎮めるために祈りをささげたという洞爺湖の島の洞窟にも行った。原生林だけが生い茂っていた時代に円空が地鎮式を行った洞窟だ。一 体の円空仏を納めて、どうか鎮まってください、人々が苦しまないようにしてくださいと願った。洞窟は神聖な空気だった。
 何もない時代に、人が幸せに生きるために、岐阜県から北海道まで歩いて行った青年の純粋な祈りに涙が出た。
(下)優しい笑顔 目標示す 「行」の後に作風変化 15/03/06

円空仏の作風について語る滝田さん

 円空が有珠山の爆発を鎮めるために彫った仏像は北海道に現存するが、下手だ。それまでに誰かが彫ってきたものに近づこうとする仏像にすぎなかった。
 円空は北海道から奈良の法隆寺を目指して一直線に歩き、法隆寺でまた「行」に入る。新しい仏教の息吹を取り入れて、自分を高める行をした。その後、大峰 山で1年間、再び行をした時から作風が全く変わったことに僕は気付いた。それが、今回の特別展で展示されている円空仏の作風から見ることができる。仏像の 衣装を簡素化した作風は、法隆寺の百済(くだら)観音(かんのん)や釈迦三尊(しゃかさんぞん)の作風に酷似する。円空が法隆寺でこれらの仏像と出会い、 「これだ」と自分の中に全面的に取り入れたのだと思う。
 円空の仏像は庶民と同じ目線にいてくれて、常に深いほほ笑みで、人それぞれの目標を優しい笑顔で示す。人をしかって教える不動明王、優しく教える観音菩 薩(ぼさつ)、芸術に励む人ならば弁財天と、一人一人に合った仏像を彫って与えた姿が思い浮かぶ。また、あのほほ笑みはかつての日本人の笑顔に思える。
 円空仏の中で、私は今回展示されている「千手(せんじゅ)観音(かんのん)菩薩(ぼさつ)立像(りゅうぞう)」=「円空展より」に写真=が一番好きだ。 法隆寺で行をし、大峰山を下りて真っ先に彫ったのがこの仏像ではなかったか。仏像の下方にある僧形像を一日中見ていたことがあるが、私は僧形ではなく、弥 勒(みろく)菩薩に見えた。本当に素晴らしい仏像で、ぜひ見てほしい。円空さんを通した今回の皆さんとの出会いをうれしく思う。

たきた・さかえ  千葉県出身。中央大文学部中退。劇団四季で活躍し、退団後、1983(昭和58)年のNHK大河ドラマ『徳川家康』で主役の徳川家康を演じた。舞台「レ・ ミゼラブル」のジャン・バルジャン役としても有名。現在は俳優業のほか、仏像制作に取り組む。2002~03年、インドに渡航し、仏教を研究した。64 歳。