「ノクターン--夜想曲」3月1日、県内公演開幕

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南相馬公演の舞台に並んだ富良野GROUPの俳優陣

 脚本家倉本聰さんが震災と原発事故で被災した本県を舞台に書き下ろした演劇「ノクターン―夜想曲」の全国公演で、福島民友新聞社が創刊120周年記念事業として繰り広げる県内4会場公演は3月1日、会津若松市の會津風雅堂で幕を開ける。

 被災直後から倉本さんが構想を練り、4年近くをかけた取材活動は今も続く。原発事故の発生直後の状況など新事実が明らかになるたびに細かな表現が加筆される脚本。その最新版を、倉本さんが主宰する演劇集団「富良野GROUP(グループ)」が演じる。

 自然を愛し、環境保護の大切さを作品で訴えてきた倉本さんは、大津波と原発の暴走、水素爆発、16万人避難という事態を受けすぐに動き出した。県内から親子らを北海道に一時受け入れる活動や、原発災害の取材に着手。「頑張れと言えない。福島の方々に掛ける言葉が見つからない」と思案を重ねた末に、2011(平成23)年秋から、被災地の現地取材が始まった。

 せきを切ったように精力的な取材活動が繰り広げられた。複合災害に翻弄(ほんろう)される人々とその生死に直面する看護師、医師、新聞記者。倉本さん自ら福島第1原発構内や帰還困難区域に足を運び、被災地を多面的に調べ上げた。

 こうした取材メモの積み重ねが「ノクターン―夜想曲」の随所に埋め込まれ、まさに"被災地・福島"の作品が誕生。「風化」を厳しく批判してきた倉本さんは演劇を通して、全国に県民の思いを発信し続けている。

 倉本聰さん「風化」と闘う

 倉本聰さんの被災地・福島での歩み

 2011年夏 県内の親子を北海道に迎え、自然と触れ合ってもらう活動を開始

 10月 相双の被災地で現地取材を開始。併せて震災後に文通が始まった被災者を見舞う

2012年2月 いわき市の被災地で現地取材開始。被災者と交流

 3月11日 南相馬、いわきの海岸で富良野GROUPによるキャンドルナイトを開催

 7月 富良野GROUPが県内5会場で無料公演。エネルギー政策に振り回される供給地の悲哀を題材にした新作「明日、悲別で」を披露

 8月 超党派国会議員と「原発ゼロマーク」を発表。天栄村の後藤駿介君の作品イメージを採用

2013年3月11日 いわき市でキャンドルナイトを開催、津波被災者を慰める

 8月 「ノクターン--夜想曲」の実験舞台を北海道・富良野で披露

2014年2月 環境破壊をテーマにした富良野GROUPの「マロース」を南相馬市で上演、本州では初

 7月 福島第1原発構内や作業員、帰還困難区域などを現地取材

 9月 二本松市で講演。震災と原発問題を切り口に物質文明に警鐘を鳴らす

 9月 富良野GROUPが相双の高校生たちを対象に演劇講座を開き、演技を指導

 10月 「会津エンジン009」で講演

2015年2月 「ノクターン--夜想曲」を県内で初めて、南相馬で公演

 

 「ノクターン--夜想曲」は、大震災の地震と津波、原発事故と避難、関連死と立て続けに見舞われた浜通り、特に富岡町や浪江町、南相馬市が物語の舞台となった。

 津波被災の浜辺で行方不明の娘を捜し続ける男と、津波から逃げようとした人を救えなかった後悔につぶされそうな新聞記者との出会い。多くの命を救いながらも、自らの子どもたちを失い、ぶつけようのない怒りを背負い続ける夫婦の悲しみも描かれ、4年前とは思えぬほど生々しく、福島の傷口が再現される。

 劇中には、南相馬市の詩人若松丈太郎さんが1994(平成6)年に書いた、原発災害を予言したかのような作品が織り込まれた。不条理な原発事故を抱えたまま複雑に展開される人間ドラマ。風評と風化にあらがうメッセージ。4度目の「3・11」を間近に控えた中での県内4会場公演は、県民が4年の歳月をどう乗り越え、これからどう生きていくのか、あらためて考える機会を提供していく。

 問い合わせは福島民友新聞社「ノクターン」係(平日午前10時〜午後5時、電話024・523・1248)へ。県内4会場と日時次の通り。

 會津風雅堂(会津若松市)=1日午後2時▽郡山市民文化センター=3日午後6時30分▽いわき芸術文化交流館アリオス=5日午後6時30分▽県文化センター(福島市)=7日午後2時