「生きがい-夢諦めず、夢高く、夢いつか頂へ 80歳のエベレスト挑戦」

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「医師をはじめ、たくさんの人たちが関わった登頂は『究極の老人介護登山』かな」と会場を沸かせながら体験を語った三浦さん

 福島民友新聞創刊120周年プレ記念事業の「三浦雄一郎講演会」は10月18日、福島市の県文化センターで開かれました。昨年5月に80歳で世界最高峰のエベレストに3度目の登頂を果たし、自身の持つ世界最高齢登頂記録を更新したプロスキーヤーで登山家の三浦雄一郎さん(82)が、「生きがい―夢諦めず、夢高く、夢いつか頂へ 80歳のエベレスト挑戦」をテーマに登頂までの思いと足跡を紹介し、夢を諦めないことの大切さを語りました。

「医師をはじめ、たくさんの人たちが関わった登頂は『究極の老人介護登山』かな」と会場を沸かせながら体験を語った三浦さん 三浦さんが夢を諦めないことの大切さを伝えた講演会

 おかげさまで80歳224日でエベレスト山頂に立つことができました。それまで2度登頂に成功し、3度目の挑戦でしたが、やっとの思いで登りました。(下山途中に体調が悪くなり)どうやって生きて帰るか追い詰められましたが、運良く無事に生還できました。

 福島県とのご縁ですが、今から45年近く前、猪苗代スキー場で3年間、スキースクールをやらせていただきました。当時お世話になった人たちは今でもお付き合いいただいています。そのころはスキー、トレーニング、山登りに一生懸命だったため、いくら飲んで食べても運動量が上回り、体重も増えない状況でした。

三浦さんが夢を諦めないことの大切さを伝えた講演会

■「引退気分」でメタボ

 そろそろ引退しようと思ったころ、植村直己さん、友人でもあった加藤保男さん、小西政継さん、山田昇さん、長谷川恒男さんら、世界的な冒険家や登山家が次々に行方不明、遭難するという事態が続きました。時には私の方が危ないことをやっていながら、運良く生き延びてきました。

 気が付いたら60歳、いつ死ぬか分からないようなことはもうやめようと思って引退気分で暮らし、飲んだり食べたりしていました。そうしたら、身長164センチで体重が100キロ近くになってしまった。運動はウオーキングとラジオ体操ぐらい。冬はスキーをしていましたが、小学生と遊ぶ程度で、カロリー摂取の方が多くなり、メタボになってしまったのです。階段を上るのもしんどい状況で、狭心症の発作まで起きるようになってしまいました。

 家内を知人の病院へ連れて行った時、私も検査を受けることになりました。結果は赤字だらけで、高脂血症、糖尿病のほか、腎臓も「このまま2、3年したら人工透析だ」と言われ、余命宣言までされてしまいました。あした死んでもおかしくない。何とかしなければと思いました。原因は分かっていたので、飲み過ぎ食べ過ぎを控えながら、バランスの良い食事と運動をすることにしました。しかし、「健康の先に何があるのか」と思ったのです。

■登頂への決意

 父の敬三が「99歳になったらモンブランでスキーをしたい」と、90歳を過ぎても年間120日はスキー場へ行き、雪が少なくなると八甲田山で山スキー、7月と8月は立山で本格的な山岳スキーをしていました。97歳までに3回骨折したのですが、治療して、親子3代でモンブランを滑りました。「親父がモンブランなら俺はエベレストだ」と決意しました。5年かけてメタボから回復し、足腰を鍛えよう。どこまで登れるだろうか、「運が良ければ頂上」を目標にしました。

 私の健康法には「守り」と「攻め」の二つがあります。「守りの健康」は、早起きしてウオーキングやラジオ体操をし、バランスの良い食事をすること。「攻めの健康」は、エベレストに登るため40代の体力に戻すこと。カビの生えた登山靴を出し、5、6キロの荷物を背負って試しに531メートルの山を登ると、15分も登らないうちに心臓がバクバクして、脂汗が出てくる。30分で足がつりそうだ。立ち上がる元気もない。この先5年あるのに、エベレストがはるか遠く「月」のような存在に思えた。でも、逆に考えると、メタボのひどい状態を克服し、足腰を鍛えて登頂できたら、かえって面白いじゃないですか。

 国内外で仕事をし、忙しかったため、重りをつけて生活することにしました。初めは両足に1キロずつ、背中に5~10キロを背負って過ごしていると、だんだん体重も、狭心症の発作が起きる回数も減りました。半年後には富士山に登ることができました。3キロ、5キロと重りを増やし、3年目は片足10キロずつと背中に30キロ背負えるようになりました。そうして70歳でエベレストに登頂することができたのです。その時、自分にとってのアンチエイジングはエベレストだと思いました。山頂が曇っていたこともあり、75歳でまた登ってみようと決めました。

 しかし、不整脈がひどくなりました。たくさんの医師からスキーはやめた方がいい、手術しても治らないと言われ、渡米もしました。1人ぐらい私の心臓を治してくれる医師がいるだろうと思っていたとき、茨城県の家坂義人医師の手術が世界的に優れていると紹介され、2回手術を受けました。心臓の状態は良くなり、75歳で念願の晴れたエベレスト山頂へたどり着くことができました。そうすると、「80歳でも登れるのでは?」と、つい考えてしまったのです。家族は誰も賛成しない、反対されたら家出しようと思っていました。

時折ユーモアを交えた三浦さんの体験談に、聴講者から温かい拍手が送られた

■困難を乗り越えて

時折ユーモアを交えた三浦さんの体験談に、聴講者から温かい拍手が送られた

 76歳の時、スキーで転んで大腿(だいたい)骨、骨盤、恥骨まで骨折しました。寝たきりになるような症状も「攻めの健康」のおかげで治ったのでしょう。骨密度は20代プラス、筋力もあったので「中学生か高校生並みの早さで骨がくっつき、元の位置に戻っている」と病院で驚かれました。1年足らずで歩けるようになったのです。

 初心に戻り、足首に1キロの重りをつけることから始めました。3度目のエベレスト登頂を前に、ヒマラヤの6000メートル級の山でトレーニングを開始すると、不整脈がひどく、高山病にもなった。すぐに帰国し、3度目の手術を受けました。出発まで半年しかなく、2週間後には片足5キロずつと背中に25キロを背負って歩き始めたのですが、また体調を崩してしまいました。

 昨年1月15日に最終的な心臓手術を受け、周りは登頂を諦めていました。でも自分は諦めたくない、何とか登れるのではないかと思って考えたのが「年寄り半日仕事」。1日の行程を半分にして無理せず進むことにしました。すると、ベースキャンプに着いた時には自然に心臓のリハビリができていて、足腰も復活していたのです。

 とうとう標高8500メートルまで登りました。どうせなら面白く、変わったことをしたい。世界最高峰で手巻きずしを食べ、お茶会をやろうと決めていました。心が落ち着き、夜はぐっすり眠ることができ、元気に80歳での登頂ができました。

 目標があっても時に苦しく、できない理由がたくさん出てくると「駄目かな」と思ったりもします。今回も高齢、複雑骨折、心臓手術など、できない理由がはるかに多かったが、注意深く一歩ずつ一歩ずつ取り組んでいきました。病院から脱走してそのままヒマラヤに行った感じでした。できないことにとらわれず、できることを一歩ずつ。諦めなければ夢はかないます。

講演会後に開かれた三浦さん(右)との握手会

聴講者と握手交わす

 講演会終了後、三浦さんとの握手会が開かれました。三浦さんは、「年齢に負けず目標を持ちます」「話を聞いて元気が出ました」などと声を掛ける聴講者としっかり握手を交わし、記念撮影にも笑顔で応じました。

 また、会場入り口には3度のエベレスト登頂時の写真パネルが展示され、多くの聴講者が三浦さんの偉業を伝える写真に見入っていました。

みうら・ゆういちろう
 青森市出身。プロスキーヤー、登山家、クラーク記念国際高校長。1964年、イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1985年、世界7大陸最高峰のスキー滑降を完全達成するなど、数々の偉業を成し遂げる。82歳。