脚本家・倉本聰さんに聞く 舞台「走る」...日本人の軌跡を追求

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舞台「走る」の脚本で、本県について「何か触れられないかと考えている」と話す倉本さん

 脚本家倉本聰さんが主宰する劇団「富良野GROUP」(北海道富良野市)の最後の活動となる舞台「走る」は来年1月から、郡山、いわき両市を含む各地で上演される。作品では、役者が縦横無尽に舞台を駆ける姿を通して、人が生きることの意味を問い掛ける。倉本さんは走る人間の姿に復興への道を歩む県民の姿を重ね合わせる。倉本さんに舞台「走る」に寄せる思いを聞いた。(聞き手・いわき支社報道部長 渡辺哲也)

 ―舞台「走る」を書き下ろしたきっかけは。
 「人間は二足歩行になって歩くことを始めた訳だが、いつ何のために走りだしたんだろうと疑問に思った。獲物を追い掛けるために走りだしたのが先なのか、何かから逃げるために走ったのが先なのか。日本人は一体何に向かって走りだしているんだろうとの疑問も浮かんできた。『走る』を追求しようと思い、作品を書いた」

 ―走ることのメッセージを投げ掛けるのか。
 「日本人は戦後、ゼロから復興への道を走りだした。自分もそうだが、ゴールのないマラソンをしていた気がする。最初は三種の神器がゴールだったが、ゴールすると、次は新三種の神器。そしてコンピューター、IT(情報通信)に行き着いた。ゴールのないマラソンを走っていたら、いつかは心臓まひを起こすに決まっている。だけど、日本の繁栄を支えてきた先祖や先人を『軽蔑できますか』『笑えますか』と問い掛ける場面が舞台にある」

 ―本県に関わる部分もあるのか。
 「福島県民は3・11以後、必死に走っている。それは逃げるために走っているのか、追い掛けるために走っているのか。逃げるために走るのはつまらない。何かを求め、追い掛けるために走らなければならない。公演まで脚本はまだまだ変わる。何か触れられないかと考えている」

 ―舞台「走る」の脚本では女子マラソンの有森裕子さんの存在が大きかった。
 「アトランタ五輪の時、ニッポン放送が有森さんにスポットを当てた。マラソンランナーは何を考えているのかとの企画で、有森さんの声を毎日録音した。その録音を聞かせてもらい、面白いと思った。街中でもたくさんの人が走っているが、あのような『苦行』を、なぜ多くの人がやるのかと、不思議に感じた。ランナーは走りながら何を考えているのかとの思いもあった。それが原点だ」

 ―走ることについて俳優高倉健さんとのエピソードがあると聞いた。
 「僕が太り始めた30代のころ、痩せようと思ったことがあった。痩せるにはマラソンがいいと聞いたので、高倉健さんに『どうしたらいいんでしょうか』と尋ねたところ、『とにかく続けなければ駄目ですね』との助言を受けた。高倉さんから『お宅に等身大の鏡はありますか』と聞かれ『あります』と答えたら、『風呂から出たら素っ裸になって等身大の体と毎日2分間向き合いなさい。これじゃ駄目だと思いますから』と言われた。健さんも毎日走っていた人だった」

 ―全国公演で難しい部分は。
 「富良野でしかやっていない舞台。公演期間中に故障者が出ることが問題で、今回も既に故障者が出ている。一人の役者が走る距離は、プロサッカー選手が1試合で走る距離に匹敵する。アスリート並みの世界だが、セリフも言わなければならない。さらに50人以上のキャストを引き連れて移動する上、各地では舞台をどっと走りだす30~40人のサラリーマンのエキストラを募集しなければならない。富良野から出ることに踏ん切りがつかなかった」

 くらもと・そう 東京都出身。東大文学部美学科卒。1963(昭和38)年にニッポン放送を退社、脚本家として独立。77年に北海道富良野市に移住。ドラマの代表作に「北の国から」「前略おふくろ様」「優しい時間」「風のガーデン」など。舞台でも「屋根」や「ノクターン―夜想曲」など多数の脚本、演出を手掛ける。81歳。