【興福寺と会津】興福寺・多川俊映貫首に聞く(上)苦しみ受け止める

  このエントリーをはてなブックマークに追加 
興福寺・多川俊映貫首

 仏教美術で国内有数の国宝数を誇る奈良・興福寺。その寺宝を展示する福島復興祈念展「興福寺と会津~徳一(とくいつ)がつないだ西と東」(7月6日~8月18日、会津若松市・県立博物館)を前に、同寺トップの多川俊映貫首(かんす)が福島民友新聞社のインタビューに答えた。

 多川貫首は、奈良時代に始まり度重なる戦乱や危機を乗り越えてきた興福寺の歴史や、東日本大震災からの復興を願う強い思いを披露、「仏像とじっくりと向き合ってほしい」と語った。(聞き手・編集局長 小野広司)

 ◆地蔵菩薩が心の救済

 ―まずは昨年秋、境内の中核をなす中金堂(ちゅうこんどう)が300年の時を超えて再建落成した。多川貫首をはじめ関係者の強い意志を感じる。興福寺は藤原(中臣)鎌足(かまたり)(614~669年)の病気平癒を祈った山階寺(やましなでら)が始まりとされ、710(和銅3)年の平城遷都に合わせ、鎌足の子不比等(ふひと)(659~720年)が現在地に移転した大寺院だが、何度も災禍に遭い、そのたびに再建されて七転び八起きと評される。

 「今年は不比等の没後1300年になることから、5月3日には御遠忌(ごおんき)を営んだ。火事の多いお寺で、大小含めれば160回もあったと言われている。なかでも中金堂は、昨年10月に落慶して天平年間の姿を取り戻したが、実に7回も焼失し、再建を繰り返した。まさに七転び八起きだ」

 ―大きな寺とはいえ、何度も何度も起き上がる力に驚かされる。復興を成し遂げた原動力とは何だったのか。

 「天平に戻りたい、もとの姿を取り戻したいという僧侶たちの強い願いだと思う。中金堂は幾度も再建されたが、礎石は創建当初から全く動いていない。焼けるたびにがれきを片付ければ、天平の礎石が現れてくる。誰に教えられたものでもない天平回帰の心が、人々を突き動かしてきた。いわば、寺が持つ歴史の力だ」

 ―その興福寺から今夏、国宝5点を含む多くの貴重な仏像や仏画が会津へと運ばれる。福島復興祈念展に込めた興福寺の思いとは。

 「国宝に注目が集まるのは常だが、私たちが本当に見ていただきたいのは、国指定重要文化財の地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりゅうぞう)(平安時代、木造)だ。興福寺にとって福島に行く最大の目的は、この菩薩さまに福島にお出ましいただくことだと言っていい」

 ―なぜ、地蔵菩薩か。

 「地蔵菩薩は代受苦(だいじゅく)の菩薩とも呼ばれる。私たちの苦しみや悲しみを代わりに受け止めるという誓いを立てた菩薩さまだ。『復興祈念』という意味からすれば、この菩薩さまが一番脚光を浴びるべきだろう」

 ◆仏さまに見られる場 目で心で向き合う時間に

 ―1300年の歴史をつないできた興福寺には、天平時代や平安時代、そして鎌倉時代とたくさんの仏像が伝わっている。お堂や仏画なども含め国宝、重要文化財は100点を超えるというが、どうしてこれほどの仏像が興福寺に集まり、守られてきたのか。

 「私たちの立場は、バトンを受け渡していくリレー走者のようなもの。受け継いだものは、しっかりと伝えていかなくてはならない。火災や焼き打ちに見舞われるたびに、時の人たちが懸命に仏像を運び出した。また、個人的には何かをプラスして渡していきたいと思う。そうした思いが重なり、今の興福寺になっている」

 ―7月6日開幕の「興福寺と会津展」は「徳一(とくいつ)がつないだ西と東」という副題がついた。会津に仏教の種をまき仏都の礎を築いた徳一は、謎の多い人物だが、興福寺の学僧だったとされる。その縁をたどる展示で、どんな仏像が福島にやってくるのか。

 「興福寺と会津をつないだ徳一は、平安時代初期の人物。(『興福寺と会津展』のポスターに登場する)国宝の四天王立像は、まさに同じ時代に造られたお像で、おそらく徳一も目にしたはずだ。同じく国宝の維摩居士坐像(ゆいまこじざぞう)(期間限定展示)は、維摩詰所説経(ゆいまきつしょせつきょう)という興福寺がとても大切にしてきたお経の主人公だ。維摩居士は僧侶ではない在家の仏教徒で、仏教の神髄を深く理解していた。寺院という特別な場所でなくても、仏教を学び、十分に行いうることを示している」

 ―四天王立像や維摩居士坐像が安置されている東金堂(とうこんどう)には、一歩踏み入ると張り詰めた空気がある。それぞれケースに入らずに安置されており、見る者は仏像とじかに向かい合うわけだが、その際に大切なことは何か。

 「東金堂は極めて仏像が多いお堂。入れば一瞬にしてギロリとにらまれている感じがする。博物館や美術館で仏像をご覧いただく『仏教美術展』は、非常に盛んに行われている。その場合は来場者が鑑賞する、仏像を『見る』ということになるのだが、仏像に『見られている』ということも忘れないでほしい。自分の目や心で、じっくりと向き合うと、後で仏さまの顔がふと思い浮かんでくることがある。それは数日後かもしれないし、あるいは何年か過ぎてからかもしれない。その時、皆さんは仏さまの視線に気付くことになる」

 たがわ・しゅんえい 奈良市出身。立命館大文学部哲学科心理学専攻卒。興福寺子院の菩提院の住職を経て1989(平成元)年から興福寺貫首を務める。「天平の文化空間の再構成」を掲げて伽藍(がらん)復興に取り組み、昨年10月には江戸中期に焼失した中金堂を落慶した。著書に「唯識入門」「合掌のカタチ」「仏像 みる・みられる」など多数。72歳。