【食物語・ウニの貝焼き】 お母ちゃん熟練の技 香りに誘われて...

 
一つ一つ手作業で作られるウニの貝焼き。地域や家庭によって作り方が異なり、その違いが「味の個性」を生み出している=いわき市小名浜

 5月になりウニ漁が解禁されると、いわき市の沿岸部にある漁師の家々から磯の香りが漂ってくる。初夏の訪れを告げる香りの正体はいわきの名物ウニの貝焼き。ウニの風味が口いっぱいに広がるこの味を求める人は多い。

 東京電力福島第1原発事故に伴いウニ漁は自粛されたが、昨年から材料となるキタムラサキウニの試験操業が始まり、貝焼きが復活した。採る量が限られており、家庭で調理されてはいないが、漁業復興の歩みを実感する。香りに誘われるかのように、試験操業で水揚げされたウニを貝焼きにしている同市小名浜の作業場を訪ねた。

 ◆濃厚なうまみ

 貝焼きは、ホッキ貝の貝殻にウニの身(生殖巣)を盛り付け、蒸し焼きにした料理で、味付けは一切されていない。蒸し焼きにすることで、ウニ本来の濃厚なうまみや甘みが濃縮される。小名浜に限らず同市沿岸部で広く作られ、地域や家庭によって焼き方や盛り付け方、調理に用いる道具などが異なり、その違いが「味の個性」を生み出している。

 作業場では、地元の下神白地区の"お母ちゃん"たちが貝焼き作りに精を出していた。ウニの殻を割り内臓をピンセットで丁寧に取り除く。一つ一つ身を取り出し、こんもりと盛り付ける。そうして出来上がるのが、一つ5000円以上の値がつくこともある高級品の貝焼き。貝焼き一つに、ウニ4、5個の身を使うというのだからぜいたくだ。

 貝焼きを専門とする料理人は存在しない。ウニ漁をする漁師の家族が料理人となって味や調理法を受け継いできた。その一人の馬目和子さん(50)は「貝焼きは漁師の家族でもめったに口にできないよ」と豪快に笑いながら、手際良く調理する。漁師の家に嫁いでから30年近く貝焼きを作り続けてきた。熟練の技か。盛り付けに迷いがない。きれいな楕円(だえん)形に仕上げ、次々と並べていく。貝焼き1個当たりの重さの感覚も身に染み付いているのだろう。はかりを使わずとも重さは同じ。「(調理技術を)身に付けるのに5、6年はかかった」と馬目さんは懐かしそうに話す。「貝焼きはいわきの誇りだね」

 ◆陣中見舞いに

 ウニの貝焼きの歴史は古く、江戸時代まで遡(さかのぼ)る。その歴史を知る人を探すと、同市平薄磯の料理店「山六観光」の社長で、県鮑雲丹(あわびうに)増殖協議会長の鈴木一好さん(64)に行き着いた。「貝焼きは江戸時代末期ごろに作られ、戦後、全国に広まったと聞いている」。戦時中の陣中見舞いなどのため、保存食として貝焼きが作られ始め、冷蔵技術の発展とともに、全国に広まったという。貝焼きが作られたいきさつは諸説あるが、当時から高級品で、鈴木さんは「庶民の食卓に並ぶことは少なかった」と話す。

 ウニと言えばバフンウニも有名だが、なぜ貝焼きの材料とならないのか。その答えは簡単だった。いわきの浜でバフンウニがあまり採れないからだ。鈴木さんは「キタムラサキウニの上品な味わいが貝焼きに合う」と話す。貝焼きに決まった食べ方はない。酒のさかなに少しずつ味わうもよし。ご飯にのせて、しょうゆを垂らし、かき込むのもよし。鈴木さんに好きな食べ方を聞くと、「そのまま丸かじりが一番だね」とすぐに返ってきた。地元産のウニの味を知り尽くしているからこその言葉と、妙に納得した。

 試験操業中のため、いわき産の貝焼きは地元でもほとんど出回らない。江戸時代よりも貴重な品になったようだ。ウニ漁が再開されたら、店頭にずらりと並ぶ貝焼きを眺め、どれを買おうかとうんと悩みたい。

ウニの貝焼き

ウニの貝焼き

(写真・上)貝焼き一つにウニ4、5個の身が使われる(写真・下)蒸し焼きにすることでウニ本来の濃厚なうまみと甘みが濃縮される

 ≫≫≫ ひとくち豆知識 ≪≪≪

 【試験操業】 試験操業は、東京電力福島第1原発事故に伴い操業を自粛している漁業者が沿岸部や底引き網漁などで漁獲される魚介類について、小規模な操業と販売を試験的に行う取り組み。漁獲された魚の出荷先での評価を調査し、本県の漁業再開に向けた基礎情報を収集している。ウニの試験操業は昨年に続いて行われ、今年は週に2回実施。採れたウニは貝焼きにして販売、生食用としては出荷していない。

 【ウニの貝焼きの作り方】 家庭によって違いはあるが、ウニの貝焼きの作り方は次の通りだ。(1)ウニの殻を割り、身を取り出す(2)身を水で洗い、筋や血管などを取り除く(3)ホッキ貝の貝殻にきれいに盛り付ける。こんもりと盛られたウニは見た目にも楽しい(4)水を入れた鍋で蒸し焼きにする。蒸し焼きの仕方はそれぞれで、鍋底に石を敷き詰めたり、ウニの水分のみで蒸し焼きにする方法がある。焼くだけの家庭もある。