−明治15年−
自由民権運動の指導者・河野広中らが「自由は人の天性なり。自由を守るは人の道なり」と宣言して福島自由新聞を発刊。しかし、官憲の弾圧を受けて、わずか7号で廃刊に追い込まれました。
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河野 広中
1849年(嘉永2年)〜
1923年(大正12年)。福島県三春町生まれ。福島県の生んだ代表的政治家で、自由民権運動の先駆的指導者として活躍。その後、衆院議長などを務めた。 |
−明治28年−
福島民友新聞の前身となる「福島実業新聞」が5月20日創刊。その後、東北実業新聞、福島日報、岩磐新聞、東北民の題字に改題しながら号数を引き継ぎ、福島民友新聞につながっていきます。
−明治32年−
初めて福島民友新聞の題字で発刊。「福島実業新聞」からの号数を引き継いでいることから、明治28年5月20日をもって福島民友新聞の創刊としています。
ちなみに、福島民友新聞の題字で発行された11月25日付けの本紙発行所感は、「吾等は自由を愛す、天賦の権利を愛す、人類の本能を愛する也」とうたっています。
−大正元年−
本紙5000号に到達、記念号32ページを発行。
明治から大正へ、福島民友新聞は県民の圧倒的な支持を受けて歩みました。
−大正11年−
夕刊発行を開始(4ページ構成)。
−昭和2年−
本紙1万号。
−昭和16年−
日本は急速に軍国化の道を進むようになります。福島民友新聞はこれにも反対の論陣を張りましたが、報道統制の一県一紙政策で、昭和16年元日号を出したまま休刊に追い込まれました。 〈休刊〉
−昭和21年−
福島民友新聞が復刊したのは、2月20日。「われらは言論の中央集権を排撃し、言論の地方分権を主張する。われらはあくまで地方新聞の特色を生かし、200万県民の文化水準の向上と生活の改善に努め、郷土新聞としての使命達成を誓う」と宣言しての復刊でした。
−昭和23年−
読売新聞社と提携。自社印刷工場を建設。
−昭和34年−
本紙2万号。
−昭和40年−
創刊70周年。「福島博覧会」を開催。
−昭和46年−
福島市中町に5階建て新社屋完成。
−昭和57年−
鉛の活字を使わない電算写植に移行する。
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−昭和60年−
創刊90周年。「ウソほんと?言い伝えのクリニック」でアップジョン賞特別賞を受賞。翌年「がんとの闘い」でもアップジョン賞を連続受賞。
−昭和61年−
福島市柳町に6階建ての新社屋完成。コンピューターを使用した編集システム、ハイテク輪転機を駆使した新聞づくりを始める。カラー印刷を開始する。
−昭和62年−
本紙3万号。
−平成2年−
創刊95周年。「みんゆう県民大賞」を創設。
−平成7年−
創刊100周年。高速度オフセット、カラートップ輪転機を導入し、最大32ページ・カラー12個面の紙面に。また、財団法人福島民友愛の事業団を設立する。
−平成9年−
「福島民友」の題字を横組み、カラーにする。
−平成13年−
本紙3万5千号。民友環境基金・みんゆう環境賞を創設する。「シリーズいのちの輪」でファルマシア(旧アップジョン)医学記事賞を受賞。
| 民
友 の 誓 い |
福島民友新聞は
公正で品格ある報道、自由で
責任ある言論により読者の信
頼にこたえる。
人間尊重を第一に、正確な情
報を迅速に分かりやすく伝える。
県民の友として生活・文化の
向上を追求する。
(平成13年1月制定)
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−平成16年−
最新鋭の超高速輪転機を備えた郡山新工場で印刷開始。最大40ページ・カラー16個面の新聞印刷が可能に。「食ふくしま新ふーど記」で農業ジャーナリスト賞。
−平成17年−
創刊110周年。「医者が足りない!」でファイザー医学記事賞。
−平成18年−
「ふくしま虫の目探検」で東北写真記者協会賞。
−平成19年−
「福島遺産・百選」を県民・読者と選定。
−平成21年−
「地球に優しく、子どもたちに愛を。ふくしまエコキャップ運動」を開始。「ふくしま里山物語」で東北写真記者協会賞を受賞。
−平成22年−
創刊115周年を迎える。
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