【維新再考・識者に聞く】森田 健司さん(4) 無血開城、皮肉な舞台裏

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 江戸時代の庶民の視点から幕末や戊辰戦争を検証している大阪学院大教授の森田健司さん。第4回は、新政府軍に江戸城を明け渡した戊辰戦争の重大局面「江戸無血開城」に対する江戸の庶民の心情をみる。

 新政府軍の西郷隆盛(薩摩藩)と旧幕府陸軍総裁の勝海舟(幕臣)らが1868(慶応4)年3月から交渉を進め、4月11日に江戸城の平和的開城が成立した。紹介する錦絵は「浮世風呂一ト口文句(うきよぶろひとくちもんく)」で、銭湯にて裸の男がひしめく一枚だ。非合法出版で制作時期は不明だが、内容から開城の直前か直後とみられる。

 錦絵を読み解いていく。画面右の番台に座る女性は天皇家から徳川家に嫁いだ「和宮(かずのみや)」。横に座ってたらいから手ぬぐいを垂らす男は会津藩。手ぬぐいに「若」(若松)の字がある。会津藩の背中を洗う浴場従業員(三助)は、蛤柄(はまぐりがら)の手ぬぐいを額に巻くため桑名藩(名物が焼き蛤)だ。

 会津藩と桑名藩のセリフが興味深い。会津藩は「年明けに大患(おおわずら)いをしたが 今では大丈夫になったよ もうどんな強いやつがきても 指でも差させやしねえ」と語る。鳥羽・伏見の戦いで勇猛果敢に戦い、多くの死傷者を出した会津藩の状況を踏まえ、「もう大丈夫。いかなる敵にも負けない」と庶民の期待を込めた。

 桑名藩は「だんな あなたの背中は まことにきれいでござります」と語る。これも庶民の気持ちを知る上で重要だ。「危うい状況でも徳川家のために全力で戦った会津藩は背中がきれい」との意。庶民は君臣の義を大切に思っていた。

 ※「戊辰戦争」「明治維新」を新たな視点で問い直す長期大型連載「維新再考」は、引き続き福島民友新聞で毎週月曜日に掲載します。どうぞお読み下さい。

もりた・けんじ 1974(昭和49)年、神戸市生まれ。京大経済学部卒、京大大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。現在は大阪学院大経済学部教授。専門は社会思想史で、特に江戸時代の庶民思想の研究に注力している。著書に「明治維新という幻想」「江戸の瓦版」などがある。