【維新再考・識者に聞く】森田 健司さん(6) 東北の難局、会津に期待

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 江戸時代の庶民の視点から戊辰戦争を検証している大阪学院大教授の森田健司さん。第6回は、戊辰戦争で東北地方が主戦場となった時期の諷刺(ふうし)錦絵をみていく。

 裏に新政府への憤り

 1868(慶応4)年5月に東北と越後の諸藩が「奥羽越列藩同盟」を結び、新政府軍との全面戦争に入った。戦況は新政府軍有利で進み、7月には磐城平藩や二本松藩などが陥落した。そして8月下旬から、会津での激戦に突入していく。

 紹介する諷刺錦絵は同年8月に発行された「東京雨天のつれづれ」で、東北地方での戦局を表現している。タイトルが「江戸」ではなく「東京」なのは7月に改称されたためである。

 構図は、雨の中で番傘を持った男たちがけんかをする様子を描く。旧幕府軍の東北諸藩と、新政府軍の西国諸藩を擬人化したものだ。「傘が破れる(敗れる)と持ち主は負け」というルールのようで、すでに画面右下と左下の男性2人は負けて傘の色が変化している。

 擬人化を見破るヒントは傘の文字にある。右下の人物は「二本線」(丹羽家の家紋の直違(すじかい)紋)と「松」の字から二本松藩。セリフは「揺(ゆさ)ぶられたら是非(ぜひ)がねえ」と言う。「揺ぶられる」は「破られる」の意味だ。

 左下で転んでいるのは「平」「岩木屋」の字から磐城平藩で、「一番破られた こいつはたまらぬ アタアタ」(意訳)と話す。すぐ上の傘は「店(たな)」と「倉」の字があり、戊辰戦争の諷刺錦絵に登場するのはかなり珍しい棚倉藩。6月に棚倉城は落ちたが、降伏はしていなかった。

 画面中央下の傘は「白川」とあり白河藩。セリフは「イヤどっこい」と踏ん張って負けを認めない。ただし白河藩は67年に藩主が棚倉に移封されて消滅している。錦絵に描かれた理由は、68年閏(うるう)4~7月に白河で激戦があったためか。

 さて新政府軍はどうか。中央右側の人の傘には「土州屋」「内」(山内)の字があり土佐藩、中央左側の人の傘には「長」「官」の字から長州藩と分かる。そして長州藩は左隣の男に「何をこしゃくな 訳もない」(意訳)と言っている。

 声を掛けられたのは傘の「羽州屋」と着物の「米」から米沢藩。「今度はおれが相手」(意訳)と語り、長州藩と言い合った。米沢藩の左で「庄」の字の傘を持つのが庄内藩。傘が破れて情勢が危うそうだが、実際は最後まで奮闘した。

 新政府軍の進撃に次々と倒れる旧幕府軍。一番右で無傷の傘を広げて踏ん張るのが会津藩だ。傘には「會」「若松町」「ぬり物屋」とあり、「手柄に破ってみろ」(意訳)と言い放つ。旧幕府軍の戦況は厳しいが、江戸っ子たちの「まだ会津藩がいる」との思いを込めた。

 錦絵からは旧幕府軍に肩入れして「会津がいる限り逆転勝利はある」と信じる江戸の庶民の存在が分かる。この頃には新政府の人々が東京をわが物顔で闊歩(かっぽ)し、要人は大名のような暮らしをしていた。庶民の期待の裏には、新政府への強い憤りもあったのだろう。(つづく)

もりた・けんじ 1974(昭和49)年、神戸市生まれ。京大経済学部卒、京大大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。現在は大阪学院大経済学部教授。専門は社会思想史で、特に江戸時代の庶民思想の研究に注力している。著書に「明治維新という幻想」「江戸の瓦版」などがある。