【維新再考・識者に聞く】森田 健司さん(7) 明治政府紡いだ「正史」

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 江戸時代の庶民の視点から戊辰戦争を検証している大阪学院大教授の森田健司さん。まとめの第7回は江戸の庶民の心情を踏まえながら、明治政府のイメージ戦略について語っていく。

 戊辰戦争の諷刺(ふうし)錦絵は150種を超える。多くが旧幕府軍の勝利を願い、新政府軍を嫌っている。これが江戸の民衆の大多数の考えだ。民衆が幕府を支持した理由は、長らく続いた平和が新政府軍によって乱され、日常生活が営めなくなった。さらに新政府軍の非道な行為にも反発したのである。

 これら庶民の心情は正史から消し去られている。明治維新の実像をみると、国を良くしようというよりも、権力欲しさに政権を奪取したにすぎない。決して旧幕府の腐敗を正そうとか、民衆が抑圧から解放されるためではない。現実を知れば、旧幕府側が悪という薩長史観のゆがみを感じる。

 歴史観現代まで影響

 1869(明治2)年5月の箱館戦争終結で、戊辰戦争の幕が閉じた。新政府軍は軍事力によって国内統一を遂げ政権を奪った。戦争によって政権を得るのは古今東西で例がある。しかし、戊辰戦争が異様なのは、話し合いで解決しようとした旧幕府側を、あらゆる手を尽くして戦争に誘い出し、見せしめとして会津藩を血祭りに上げたことだ。

 政権を奪った明治政府がすべきはなにか。まずは権力を維持・存続させる政治体制の整備だ。そして明治政府の正当性を証明し喧伝(けんでん)する「イメージ戦略」にも注力した。薩長の私利私欲のイメージを払拭(ふっしょく)したのである。そのために戊辰戦争が避けがたいものだったと発信した。「旧(ふる)く悪(あ)しき徳川幕府」を「自由・平等・博愛を旨とする明治政府」が圧倒したという「正史」を紡いだのだ。

 明治政府は、まだ政治体制が安定する前の1872(明治5)年から史料収集と正史編纂(へんさん)を始めた。最終的には、東京帝国大臨時編年史編纂掛が1889(明治22)年に初の官撰維新史「復古記」として完成させている。「旧く悪しき江戸時代と輝かしき明治時代」との見解が「事実」に転化していく始まりである。時間の経過とともに受容され、学校教育として新しい時代にも定着していった。

 明治政府のイメージ戦略は現代にも影響を与えている。正史編纂事業は明治後期に大規模化し、薩長出身者らが顧問として加わって「文部省維新史料編纂会」として始動する。そして同編纂会がまとめた資料が近世史や近代史、義務教育の教科書の基になった。

 「明治政府こそが近代日本をつくりあげた」。教科書からは、明治維新とは「庶民が抑圧された江戸時代」を超克したものであるといった印象を受ける。しかし明治政府が政権を奪取した方法は、過剰に暴力的で極端に利己的だった。歴史観に賛否あるが、明治政府の樹立までに、無数の命が奪われた事実を忘れてはならない。

 どの国の歴史も連続性で語られるのが当然だ。しかし、明治政府がつくった薩長史観は日本の歴史を断絶させている。江戸時代が築いた「非戦の美学」は精神文化の到達点である。対する明治政府は暴力肯定派で、軍事力増強で近代日本を完成させようとした。江戸時代が完全無欠などと言いたいわけではないが、明治政府が否定した江戸時代のまばゆさに魅力を感じざるを得ない。

 「明治維新150年」が盛り上がってきた。「国を憂う若者が維新の志士になった」との実態とは異なる紹介に、正邪の構図も強まる。中立の立場で実像を知ることが大切で、諷刺錦絵の訴えなどに目を向けることも参考になる。150年の節目は維新か戊辰か。どちらにしても人々の関心が高まることで歴史を見直す好機である。

 (森田健司さんの「維新再考」は今回で終了し、次回からは政治学者の御厨貴(みくりやたかし)さんが登場します)