【維新再考・動乱の舞台】京都編1(上) 鳥羽伏見で激戦突入

  このエントリーをはてなブックマークに追加 
「王政復古」のころまで会津藩が守備していた蛤御門を前に、歴史を問い直す会津会会長の柳沢さん=京都市・京都御苑

 戊辰戦争から150年の年を迎えた。勝者によって書かれた幕末・明治の歴史のゆがみを敗者の視点から問い直す連載「維新再考」。第2部は、戊辰を必死に戦った先人たちの足跡をたどる。戦いは京都で火がついた。かつての王城の地から旅を始める。

 柳沢秀夫氏が歩く

 日に日に寒さが増す冬の古都を、会津出身の東京在住者らでつくる「会津会」の会長、柳沢秀夫さん(64)=NHK解説主幹=が訪ねた。幕末動乱の舞台は今、寒さどころか熱気を感じるほど観光客でにぎわう。インバウンド(訪日外国人旅行者)に人気の着物レンタルを利用し散策を楽しむ姿もある。「攘(じょう)夷(い)」を叫んだ幕末の志士が見たら卒倒するだろう。

 「京都に来ると会津高の修学旅行を思い出す」。柳沢さんは移動の車中で青春の一ページをめくる。車窓を流れる歴史的な寺社や町家。「若い時と違って、今は歴史が知りたい」。150年前の都を思う。

 伝わる「先人」の思い

 柳沢家は会津松平家の祖・保科正之に従って会津入りした会津藩士の家系だ。幕末には会津と京都の連絡役を務めた先祖もいた。明治に会津藩が斗南藩として再興した際、一家で今の青森県に移住したが、その後会津に戻った。「斗南藩では先祖は厳しい生活を強いられた。祖母がいつも話してくれたんだ」

 戊辰戦争は洛南(京都市南部)の「鳥羽・伏見の戦い」で幕を開けた。慶応4年1月3日(新暦1868年1月27日)。正月とはいえ新暦では厳寒の頃だ。師走に起きた旧幕府勢力排除の政変「王政復古の大号令」を機に徳川慶喜(よしのぶ)や、蛤御門(はまぐりごもん)周辺で京都御所を守っていた会津藩の松平容保(かたもり)ら旧幕府側は、武力衝突を避け大坂城に退却していた。しかし新政府側の挑発が続き、「薩摩討つべし」の熱に旧幕府側は沸騰してしまった。

 開戦日は、薩摩藩の罪状を御所に訴えるため入京を目指す旧幕府側と、阻止を図る新政府側が鳥羽、さらに交通の要衝・伏見でにらみ合った。鳥羽では「通せ」「通さぬ」の押し問答を経て夕刻、強行に進軍した旧幕府側に薩摩藩が発砲。砲撃音が伏見にも届く。激戦に突入した。

 痕跡が色濃く残る伏見を柳沢さんが歩いた。伏見を南北に貫く旧街道沿いにある創業約250年の料亭「魚三楼(うおさぶろう)」。「ミシュランガイド」に掲載される京料理の名店だ。その格子窓には銃撃戦の弾でえぐられた痕がいくつも残る。

 「弾痕には理屈抜きの迫力がある。先人の思いが時を超えて伝わる」。柳沢さんが続ける。「会津藩は必死に天皇を守った。忠実に役目を果たした結果は悲惨なものだ。まさに歴史の皮肉」。勤皇の会津藩が朝敵にされた無念。歴史を見つめ直す必要性を再確認し、いつまでも弾痕を見つめた。

 連載「維新再考」の保存版は、第1部「識者に聞く」のうち、「半藤一利さん編」(全7回)、「中村彰彦さん編」(全7回)、「磯田道史さん編」(全3回)、「森田健司さん編」(全7回)の4編があります。福島民友販売店で無料で提供しています。問い合わせは福島民友新聞社販売局(電話024・523・1472)へ。