【維新再考・流転の地】斗南編2 米とれぬ過酷な新天地

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日の出直後、陸奥湾へ向け大平漁港を出港する漁船。むつ市大湊地区大平は、かつて斗南藩の首脳たちが海産物を輸出する貿易拠点を構想した夢の場所だ

 斗南(となみ)藩3万石は、戊辰戦争に敗れ消滅した会津藩の再興を願う人々の思いを受け、同戦争の終結から間もない1869(明治2)年に誕生し、71年の廃藩置県によってわずか2年弱で消滅した。その短い歴史には、時代の激動と会津人の苦悩が凝縮されている。「維新再考」第3部、作家・星亮一さんが語る斗南編の2回目は、この小藩成立の経緯などを見る。

 「北斗以南皆帝州―たとえ北のはずれにあっても、北斗七星輝く所は皆日本である」

 「斗南」の名の由来には諸説あり、正確なことは分からない。ただ先の漢詩の一節から取られたとする説は、よく知られている。

 領地は、旧南部藩領の一部。現在の青森県むつ市など下北半島を中心とする地域と、同県三戸郡など十和田湖の東側の地域だ。七戸、八戸両藩を挟み、南北に分断されていた。

 この本州最北の地が、山川大蔵(後の浩)や広沢安任、永岡久茂ら、新しい会津の指導者たちが、藩再興の望みを賭けた舞台だった。

 ここに、元藩士やその家族らが移り住み、農地を広げ商工業を興す。さらに、山川たちは遠大な構想を描いた。安渡(あんど)(後の大湊。現むつ市大湊地区大平(おおだいら))に港を開き、海外などへ海産物を輸出するというものだ。

 移住は、1870(明治3)年の4月から秋にかけ数次に分け行われた。確認できる移住者数は約2800戸、1万7000余人。このほか約1000戸は、会津や東京など各地で平民の道を選んだ。

 多くは新潟や仙台、東京・品川沖から汽船で海路をたどり、陸路を徒歩で北上した家族たちもいた。再起を期して移住を決断した人々は少なくなかっただろう。

 しかし、新天地では、過酷な生活が待っていた。一言で言えば、家もなく、耕作地もない。まさにゼロからの出発だ。

 なにより会津人には、自然環境が厳しかった。米どころの会津に対し、この地域は冷涼で稲作には適さず、江戸時代には冷害と飢饉(ききん)にたびたび見舞われた。

 では、なぜ、この土地が、会津藩再興の地になったのか。それは明治政府の「戦後処理」を映したものだったからだ。

 長州が理不尽な処分

 会津藩は、戊辰戦争で消えた。 会津とともに新政府と戦った仙台や庄内、長岡、二本松などは、仙台が62万石から28万石というように削封されたが、藩自体は残った。しかし会津だけは、領地をすべて没収された。政府首脳の間に、いかに会津厳罰論が強かったかが分かる。

 藩士も「会津降人(投降した人々)」と呼ばれ、扱いは罪人。東京と上越高田(現新潟県上越市)に分散収容された。

 一方、会津側は江戸で、籠城戦の指揮を執った山川大蔵と、幕末の京都で公用方を務めた広沢安任らを中心に対応策が練られた。広沢は、昌平黌や公用方の時代に培った人脈を持ち、藩内で一番薩摩藩に信用のある人物だった。

 そして、元藩主松平容保(かたもり)の長男慶三郎(後の容大(かたはる)、1869年6月誕生)を主とする松平家再興を政府に願い出、会津若松近辺での元藩士の帰農の希望も伝えられた。

 しかし、残念ながら会津藩の処分に薩摩は直接関わらない。会津処分の最高責任者は、長州藩の木戸孝允だった。

 政府内では主に薩摩と長州、つまり木戸、大久保利通、西郷隆盛ら数人が戦後処理に当たり、会津の戦後処理は、薩摩が長州に一任した。元々、事を起こした、つまり会津戦争を強行したのが長州だったからだ。

 当時、木戸が一番恐れていたのは、会津人が結集して反乱を起こすことだった。その危険な勢力を自分の近くには置けない。会津藩の再興を許すにしても、それは蝦夷(えぞ)地(北海道)などしかない。木戸はそう考え、旧藩士と家族1万7000余人の7割を蝦夷地、3割を旧南部藩領に移住させ開墾させる構想を固めた。

 こうして1869(明治2)年9月、北海道開拓に向け、東京で謹慎中の藩士らが第1陣として品川から小樽に渡った。移住者は2陣と合わせ700人余りという。

 だが翌70年、北海道開拓の担当が、長州の握る兵部省から、薩摩中心の北海道開拓使に変わると、北海道移住は中止になった。責任者の黒田清隆が「士族に蝦夷地開拓は無理。経験のある農民の次男、三男が最適だ」とストップをかけたのだ。

 では、どこへ会津の士族ら1万7000余人を「飛ばす」のか。地図を見ると、蝦夷地の手前に、元々構想にも挙がっていた下北半島がある。南部藩が手放し空白となった土地だ。土地は痩せ、米はとれない。自然環境が過酷で、ほとほと手に余していた。それが斗南だった。

 まさに流罪である。それが開拓と言うならば理不尽極まりないことだった。しかし会津の人々は、やるしかなかったのである。

 連載「維新再考」の保存版は、第1部「識者に聞く」のうち、「半藤一利さん編」(全7回)、「中村彰彦さん編」(全7回)、「磯田道史さん編」(全3回)、「森田健司さん編」(全7回)の4編があります。福島民友販売店で無料で提供しています。問い合わせは福島民友新聞社販売局(電話024・523・1472)へ。