【維新再考・明日への伝言】現代編4-箱石大さん 冷遇受けた同盟諸藩

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はこいし・ひろし 1965年、岩手県生まれ。国学院大文学部卒、同大大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。東京大史料編纂(へんさん)所の助手、助教授を経て、現在は准教授。専門は幕末維新政治史。著書に「戊辰戦争の史料学」など。

 戊辰150年の節目を機に始まった大型連載「維新再考」は、今回で最終回を迎えた。これまで連載でたどってきた、本県からの視点で見た歴史は、現代の私たちに何を呼び掛けるのか。会津ゆかりの早稲田大総長の田中愛治さん(67)、中央大文学部准教授の宮間純一さん(36)、東京大史料編纂(へんさん)所准教授の箱石大さん(53)、東北大専門研究員の友田昌宏さん(41)ら有識者に、戊辰戦争への新しい視点や、現代にまで続くその影響などについて聞いた。

 ◆東京大史料編纂所准教授・箱石大さん

 戊辰戦争後、「朝敵」として領地の没収や削減、転封の処分を受けた会津など東北・越後の諸藩も、新しい国家体制に組み入れられていった。この政権樹立の時期、薩長中心の新政府は朝敵とされた藩をどう見ていたのか。幕末維新政治史に詳しい東京大史料編纂(へんさん)所准教授の箱石大さんに新政府の制度面から話を聞いた。

 「新政府が諸藩を編制する『諸藩触頭(ふれがしら)制』は、朝敵となった藩を組み込まないよう明確に区別しており、赦免されると再度組み込んだ。東北は明らかに戊辰戦争が影響して特殊な状況になっていた」と箱石さんは指摘する。

 新政府は、戊辰戦争の開戦前から、諸藩の藩主を天皇の直臣(朝臣)にするなどの制度改革をいくつも断行した。諸藩触頭制は、その改革の一つで、諸藩を編制する基本制度だ。

 全国の藩を地域別(明治2年初秋は25グループ。東北地方は奥州と羽州に分かれる)に分け、その中で政令を伝達する。地域内を代表する有力藩が「触頭」、ほかの藩を「触下(ふれした)」と区別した。箱石さんは「触頭は政令伝達役を担い、触下の諸藩からの要望や連絡を新政府に伝える役も担った。まさに地域のまとめ役」と説明する。

 奥州グループでは、朝敵として征討対象となった会津藩などは初めから組み込まれなかった。

 当初は触頭だった仙台藩、後任の盛岡藩は戊辰戦争で朝敵となるため、触頭を相次いではずされている。その後の触頭は10万石の弘前藩が務めた。弘前藩は奥羽越列藩同盟に加わるが離脱し、新政府軍に協力した。会津藩は斗南(となみ)藩として再興が許されて組み込まれた。

 廃藩置県(明治4年)までの短い制度だが、箱石さんは「東北諸藩は戊辰戦争後の領地の処分に加え、新政府の制度の中でも朝敵だった影響が残った」と説明する。さらに戊辰戦争で新政府軍に協力した弘前藩を奥州グループの触頭に据えていることについて「諸藩や地域を再編制する中、新政府の東北への対応を考える上でも重要な視点」とまとめた。