【コラム】WALK TO THE DREAM-3 解雇バネに飛躍を期待

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 いわきスポーツクラブ・大倉智社長

 いわきFCでは選手の退団発表が続いている。僕も1995(平成7)年に柏レイソルを"クビ"になった。柏のフロントは他クラブへのレンタル移籍を打診したが、将来の指導者として戻すための出向の意味合いが強く、選手としては柏に戻れないということだった。僕は「ノー」と言った。「心配してるのに何で言うことを聞けないんだ」。僕が言われた言葉だ。

 当時、過渡期のJリーグでは、フロントは上司、選手は部下のような関係であり、対等ではなかった。僕のような思いを選手にさせてはいけない。この経験が身に染みつき、米国やスペインでスポーツマネジメントを学ぶ原点になった。

 ◆横浜M中町公祐

 フロントとして手放した選手の中には反骨心で成長を遂げた選手もいる。解雇した選手が違う場所で成功することはうれしい。J1横浜F・マリノスのMF中町公祐は慶大在学中、僕が強化部長だった湘南ベルマーレでプレーしていた。ただ、大学生ということもあり、彼は斜に構えて、一生懸命サッカーをやらなかった。僕から見れば、慶大がいいのか、湘南がいいのかという話だった。

 「辞めろ。慶大に戻れ」。僕は中町にそう通告した。彼は湘南を去った後、慶大サッカー部に入り、活躍した。卒業後はアビスパ福岡にスカウトされ、福岡からトップクラブの横浜に移籍した。今は横浜で背番号「8」をもらい、レギュラーの座をつかんでいる。僕が接した選手の中で、中町が一番いい例だ。あのまま湘南に置いたら駄目になると思い、切ったら、彼は自分で気付いて、横浜まで駆け上がった。僕は今でも中町と仲がいい。「あの時、大倉さんが手放してくれなかったら、今の僕はない」と中町から言われたことがある。彼をあの時に切ったことは大成功だった。

おおくら・さとし 川崎市出身。早大商学部卒。現役時はJリーグの柏レイソル、ジュビロ磐田、ブランメル仙台(現ベガルタ仙台)でFWとして活躍。引退後はスペイン・バルセロナに留学しスポーツマーケティングを学ぶ。帰国後はセレッソ大阪チーム統括ディレクター、湘南ベルマーレGM、社長などを歴任し、昨年12月から現職。47歳。

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