【倉本聰さん・7年目の福島を歩く(上)】 夜の森の桜...何思う

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「夜の森の桜を通して伝えたいことがある」。倉本さんは震災、原発事故の風化への警鐘を鳴らし続ける=富岡町夜の森地区

 「人が戻らぬこの街を、どう見ているのか」

 富岡町夜の森地区の桜並木を見つめながら、脚本家の倉本聰さん(82)は木々に問い掛けた。

 初秋を迎え、ところどころに葉が朱色に色づき始めた桜並木の周囲に、人影はない。静寂の中でバッグから取り出したスケッチブックに桜の木々を描き始めた。舞台で役者に演技指導をする時と同じ厳しいまなざしで一本の木を見つめ、ただひたすらにペンを走らせた。

 富岡町は4月に居住制限と避難指示解除準備の両区域の避難指示が解除された。しかし夜の森地区の一部は帰還困難区域で、人の立ち入りが制限されている。「桜のトンネル」として町民に愛された2.4キロの区間には約400本の桜が植えられているが、地区の半分以上は帰還困難区域だ。

 「夜の森の桜並木を描きたい」。避難を余儀なくされた住民の心を支えてきたその桜の木々にどうしても会いたかった。

 「桜の木は、ある日突然住民がいなくなったので、何が起こったのか分からない。自分たちが何か悪いことをしたのかと思っているのかもしれない」

 住民の避難後もこの地に取り残された桜の木々の切ない思いを推測しながら、スケッチは続いた。

 富岡町から一時立ち入りの許可を得て2日間、創作活動に没頭、15本ほどの桜の木々を描いた。スケッチブックに細いペン先で無数の点を打つ繊細な点描画で、北海道富良野市のアトリエに戻り、仕上げるという。

 これまでに富良野や旅先で心をひかれた木々を見つめ、その一本一本に脚本を手掛ける時と同様にドラマを見いだして描き続けてきた。制作した作品の総数は500点を超える。

 「年を重ねたボコボコの木肌や直角に曲がった幹は木の履歴書だ。この木はどんな人生を送ってきたのかと想像して描いている」と点描画への思いを語る。

 夜の森地区の桜の木々を描いた点描画に言葉を添え、県内で個展を開く予定だ。「夜の森の桜を通して、伝えたいことがある」。風評被害や震災の風化に警鐘を鳴らし続けてきたその言葉に力がこもる。

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 倉本聰さんは2011(平成23)年11月から本県を何度も訪れ、地震と津波と原発事故、それに続く風評被害と、幾重の困難と向き合う被災地福島を見つめてきた。被災者との交流など県民に思いを寄せてきた倉本さんが震災から7年目となった福島を歩いた。多くの尊い命が奪われ、多くの人が古里を追われた災害の風化への警鐘と、それでも懸命に前を向く県民への思いを、愛用の原稿用紙につづった。

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 くらもと・そう 東京都出身。東大文学部美学科卒。1963(昭和38)年にニッポン放送を退社、脚本家として独立。77年に北海道富良野市に移住し、代表作「北の国から」をはじめ、「前略おふくろ様」「優しい時間」「やすらぎの郷」などテレビ、映画で話題作を生み続けてきた。舞台でも「ノクターン―夜想曲」「走る」など多数の脚本、演出を手掛ける。