【戊辰150年・不朽の心】150年越し「会津救援」、時を超える思い

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「会津で庄内藩の雄姿をみせて、戊辰戦争戦没者の供養をしたい」と語る酒井さん。後ろの胸像は、明治時代に庄内地方の産業振興に貢献した先祖の酒井調良(酒井玄蕃の弟)=山形県鶴岡市・鶴ケ岡城跡

 近代日本の幕開けとなった「戊辰戦争」から来年で150年。

 幕末の京が端緒となった国内を二分する争いは拡大し、やがて舞台を東北地方に変えた。武士だけでなく庶民も巻き込み、戦火は県内全域に広がった。戊辰の悲劇が強く刻まれている激戦地・会津若松市では22~24日に「会津まつり」が開かれる。先人が残した戊辰の歴史を受け継ぐ人々の「不朽の心」を紹介していく。

 ◆庄内藩重臣の子孫、藩公行列参加へ

 「約150年越しに会津の救援が果たせる」。会津藩とともに朝敵とされた庄内藩(山形県鶴岡市が本拠)の藩主一門で、家老を務めた酒井家の第17代酒井潤さん(59)=鶴岡市=は、会津若松市で23日に行われる「会津藩公行列」に参加する。庄内藩庁があった鶴ケ岡城跡に立ち、先祖や会津への思いを奮わせた。

 酒井さんの高祖父にあたる第11代酒井玄蕃(げんば)(了恒(のりつね))は戊辰戦争時、圧倒的な武力を誇る二番大隊を指揮した。

 連戦連勝で新政府軍から「鬼玄蕃」と恐れられ、名将の名を残す。庄内藩は当初、本県方面に進軍予定だったが、周辺諸藩が新政府軍に寝返り、急きょ秋田県方面を攻めた経緯がある。

 酒井さんは、幼い頃から庄内藩や先祖の話を聞かされて育った。会津藩の鶴ケ城(会津若松市)に何度も足を運び、会津藩の当時の状況についても考えてきた。「籠城戦に持ち込んだ会津藩は庄内藩などの救援を強く願っていたに違いない」

 江戸無血開城と同時期の1868年4月10日、会津、庄内両藩は、新政府軍に対抗するための軍事同盟「会庄(あいしょう)同盟」を締結した。この動きが後に、奥羽と越後31藩(会津、庄内両藩を含まず)による奥羽越列藩同盟に結び付く。今年の会津藩公行列は、この会庄同盟に焦点を当て、庄内藩との関係を知ってもらう狙いだ。

 行列では、酒井さんは二番大隊長・酒井玄蕃役を務める。「日本のために戦った旧幕府軍と新政府軍の戦没者供養が大事」と語り、「会津藩と同様に賊軍の汚名を着せられ、必死に生きてきた庄内藩の存在も伝えたい」と士気を高める。

 庄内藩の伝統を受け継ぐ「荘内藩甲冑(かっちゅう)武者隊」「荘内藩三役奴振り保存会」などの約15人も参加する。

 戊辰戦争時の二番大隊は、北斗七星を逆さに配した図柄の軍旗「破軍星旗」を掲げていた。そこで会津藩公行列を主催する会津まつり協会は破軍星旗を模した旗を特別に作製した。当日は鶴ケ城城下を最強部隊の旗がたなびく。

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