古代溝跡で北東端確認、区画の一辺100メートルか 湯川・堂後遺跡

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発掘調査で確認された古代の区画施設の北東端の溝跡(中央の人物の上部)。これまでに発掘された溝跡と合わせて、区画の一辺が約100メートルだったと推定される

 東北有数の古刹(こさつ)で、国宝「薬師如来三尊像」のある湯川村の勝常寺薬師堂周辺の「堂後遺跡」の発掘で、古代の区画施設(大型の建物跡)と平行する溝跡の北東端が確認されたことが21日、分かった。これまでに発見された古代の溝跡の続きとみられ、これにより区画の一辺の長さが約100メートルだったと推定される。

 村教委によると、同寺は平安時代初期の807(大同2)年、法相宗の高僧・徳一の開山。複数の建物を持つ一大寺院だったと伝えられているが、開山当初の状況は不明確だ。古代の溝跡からは「寺」と墨書のある土師器(はじき)が出土しており、開山当初から寺院が存在したか、寺院関連の機能があったとみられている。

 今回の発掘は薬師堂の北東部と東側で実施。北東部から屈曲した古代の溝跡が確認され、位置関係から既に発見されていた溝跡につながる北東端と判明。近くの穴から祭祀(さいし)に使った10世紀半ばの土器が出土し溝跡との関連が想定される。東側からはお堂を建てる際に組む足場の痕跡とみられる柱穴の列が見つかった。

 村教委の梶原文子主査(47)は「区画施設の規模がほぼ分かってきた。中心となる古代の建物について調査を進めていく必要性がある」としている。

 来月からロビー展 湯川村教委は、11月1日~来年1月中旬(予定)、同村公民館でロビー展「今明らかになる古代の北田」を開く。入場無料。

 堂後遺跡近くの北田城跡から出土した集落跡から平安時代前期の様相に迫る。古代の竪穴住居跡、土師器や須恵器などの遺物を展示する。時間は午前9時から午後5時まで。

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