紀州の恩...会津藩士・山川浩助ける 鳥羽・伏見の戦い後の資料

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山川浩が明治15年に中野家に贈った礼状(右下)と大皿(左奥)。会津漆器の椀(中央奥)は山川浩が明治21年の再訪問時に贈った

 「150年前の絆を契機に新たな交流を始めよう」。1868(慶応4)年1月に京都で始まった戊辰戦争の端緒「鳥羽・伏見の戦い」で敗れ、紀州(現在の和歌山県)に逃れた会津藩士・山川浩を助けた地元住民の子孫が16日、明治時代になって山川から贈られた礼状や会津漆器などを会津若松市に寄贈した。同市によると、会津藩士が苦労の末に江戸に帰還する状況はあまり知られておらず、紀州での足跡を知る貴重な資料という。同市は4月に展示を予定しており、戊辰150年の節目に、いわれなき「朝敵」の汚名を背負い、再戦を決意する"鳥羽・伏見後"の会津藩士の心情を考えるきっかけになりそうだ。

 市によると、鳥羽・伏見の戦いで敗れた会津藩士の多くは紀州に逃れた。10日ほど現在の和歌山県御坊市周辺に滞在し、紀州藩の援護を受けて海路で江戸の会津藩邸に帰還した。旧幕府軍の殿軍として大坂城を出た山川は熱病にかかり、滞在した宿の手厚い看護で回復、帰還できたという。

 山川が宿泊したのは、旧小松原村(御坊市)の宿「中屋」(後に中吉旅館)。明治15年と同21年、山川が宿を営んでいた中野家を訪問し、お礼の品を贈った。中野家には礼状や九谷焼の大皿2枚、会津漆器の椀(わん)5客、見舞状などが残されており、子孫一同が戊辰150年を機に、山川との交流を広く知ってもらおうと寄贈を決めた。

 「寄贈を契機に会津と御坊市の友好が深まることを願っている」。会津若松市役所で贈呈式に出席した中野家代表の中野健さん(64)=横浜市在住=は、室井照平会津若松市長に語った。室井市長は「戊辰の歴史を振り返る貴重な資料。ぜひ御坊市と交流を深めていきたい」とした。市は4月に市内で展示するほか、御坊市への市長訪問も検討する。

 贈呈式には、御坊市の龍神康宏副市長らも訪れた。龍神副市長によると、御坊市や周辺自治体には会津藩士の墓やゆかりの品々が数多く残されている。また、山川と中野家の交流を描いた朗読劇も演じられているという。

 龍神副市長は「御坊市とのつながりを知ってもらい、交流促進につなげたい。新たな友好関係を築けたらうれしい」と語った。