会津藩家老・田中土佐の「短刀」現存 落ち延びる四女・此に託す

戊辰戦争時の会津藩家老で戦局が悪化する中、自刃した田中土佐(玄清(はるきよ))が、四女此(この)に「何かあったらこれで喉を突くように」と託した短刀が現存していたことが分かった。これまで存在が語られることはなかったが、戊辰150年に合わせ、土佐の玄孫に当たる木暮陽子さん(69)=神奈川県横須賀市=が会津若松市を訪れ、県立博物館の学芸員に存在を明かした。
木暮さんは県立博物館への寄託も考えており、話が進めば150年ぶりの里帰りが実現する。木暮さんが、此の娘で木暮さんの祖母の故ユキさんに伝え聞いた話によると、土佐は1868(慶応4)年、落城が避けられない状況になる中で、当時6~7歳だった此を安全な地へ落ち延びさせることを決意した。此の行き先は浦賀(現在の横須賀市)で、縁戚を頼ったと考えられている。
此は土佐から短刀を渡された後、炭俵に隠れ、短刀を握りしめながら新政府軍の目を避けて浦賀に向かった。此は回船問屋などを営んでいた裕福な商家の浅羽家に嫁ぎ、短刀は横須賀の木暮さんの実家である浅羽家に代々受け継がれてきた。
同博物館の阿部綾子主任学芸員(42)は「(短刀は)戊辰戦争を語る上で歴史的背景が分かる貴重な史料」、近藤真佐夫会津若松市教委文化課主査は「史実と史料の両方が現在も継承されていることに意義がある。土佐の、武士としてだけでなく、『血筋を残したい』という一人の親としての思いも感じる」と話した。
木暮さんは10日、夫の美奈夫さん(71)と共に短刀を持参し、会津若松市東山町の田中家の菩提(ぼだい)寺・天寧寺を訪れた。墓前に線香を供え、手を合わせた木暮さんは「短刀に涙がにじんでいると感じた」と話した。
木暮さんは同日、会津にゆかりが深い新選組の斎藤一が写った親族の婚礼写真の現物を母浅羽伸子さん(93)の代わりに、同博物館に寄託した。ユキさんは斎藤の次男剛の妻。ユキさんの実家に長らく保存されていた写真を寄託した。
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