【みんゆう県民大賞・スポーツ賞】 聖光学院高野球部監督・斎藤智也さん

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選手の成長を願い熱血指導する斎藤監督(左)

 第28回みんゆう県民大賞(福島民友新聞社主催)の受賞が決まった芸術文化賞のモルゴーア・クァルテット、スポーツ賞の聖光学院高野球部監督斎藤智也さん(54)=福島市、ふるさと創生賞の福島高スーパーサイエンス部。受賞に至ったそれぞれの取り組みを紹介する。表彰式は6月4日、福島市の福島民友新聞社で行われる。

 「不動心」勝負強さの礎 磨き続けた選手の心技体

 夏の地方大会で戦後最多の11連覇。県内公式戦95連勝の輝かしい記録も、目指す「野球道」があったからこそ。聖光学院高野球部監督斎藤智也さん(54)=福島市=は「どのチームよりも勇ましい野球を求めて選手を育ててきた」と強い自負を口にする。

 1999(平成11)年9月に、36歳の若さで監督に就任すると、2年後の2001年に福島大会を初制覇。以降、春夏を通じて19度ナインを甲子園に導いた。県代表を懸けた福島大会決勝や甲子園で見せる勝負強さと試合巧者ぶりは「聖光野球」の代名詞ともいえる。

 象徴的といえるのが13、14年の日大東北との福島大会決勝。13年は2点をリードされ迎えた8回に1点を返し、9回で同点に追い付くと、延長10回にサヨナラ勝ち。14年は8回を終え4点差をつけられたが、9回2死から4点を奪い、延長11回で勝負を決めた。

 驚異的な粘りを発揮する選手をどのように育ててきたのか。斎藤さんが掲げるのは「不動心」。「延長2死満塁、カウント3―2から渾身(こんしん)のボールをストライクゾーンに投げられるようになれ」「自分が打たなければチームが負けてしまう打席で思い切りボールを打ち返せるようになれ」。斎藤さんは常に選手に課題を課してきた。「どんな状況になっても、どんな試練がきても、受け止めて前に突き進む。ピンチで動じない選手を育てたい」

 福島高から教員を目指して国立大を受験したが、不合格となり、浪人して体育の教員免許が取れる仙台大に進学。教員採用試験に落ち、偶然見つけた聖光学院高の公募で教員となった。監督就任2年目で野球部を初の甲子園に導いた話は輝かしく映るが、部長として12年の下積みがあった。監督になっても「3年で甲子園に連れて行く」との条件付き。追い詰められた状況に腹をくくり、不動心を選手に教え込んだ。

 01年に初めて立った甲子園のグラウンド。入場行進するナインの姿に涙がこぼれ落ちた。

 試合は1回戦で明豊(大分)に0―20の大敗。憧れの舞台での惨敗が野球人生の転機となった。精神面だけでなく甲子園で戦える体の強さを身に付けさせるため、選手の体力トレーニングを数値化した。10年の7度目の夏の甲子園2回戦では優勝候補の一角、広陵(広島)を撃破。12年に日大三(西東京)、翌13年には愛工大名電(愛知)と日本一を経験する私立校を破り、全国の強豪校と肩を並べるまでになった。

 「優勝しない限り負ける場所でしかない甲子園は今でも怖い場所」。監督就任から20年目を迎え、負けられないという怖さが年々増している。日本一を期待する周囲の声が大きくなるが「良い選手を連れてきて勝ちたいという気持ちはない」と、勝敗よりも選手を人間的に成長させることに重きを置く。「夏の大会は3年間の歩みの集大成。生きざまをどのようにグラウンドに残せるか」。斎藤さんの言葉に、聖光野球の強さがにじむ。

 さいとう・ともや 福島市出身。福島高時代は投手・中堅手として活躍。仙台大卒。1987(昭和62)年に聖光学院高野球部長に就任、99年から監督。甲子園の通算成績は春夏合わせて23勝19敗。夏の甲子園では2008、10、14、16年に8強入り。横山貴明投手(楽天)歳内宏明投手(阪神)園部聡内野手(オリックス)八百板卓丸外野手(楽天)らを輩出。保健体育科教諭。