38年間...子どもの笑顔のため 凧作り教室に幕、若松の山口さん

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園児にインベーダー凧を紹介する山口さん(左)と妻冨美子さん

 大病後のリハビリとして凧(たこ)作りを始め、38年間にわたり市町村のイベントや小学校、幼稚園で凧作り教室を続けてきた会津若松市の山口端(ただし)さん(84)が22日、同市の認定みなみ若葉こども園で開いた教室を最後に引退した。

 「子どもたちの笑顔を見るために続けてきた。未練はあるけど...」。寂しさも口にした山口さんだが、いつもと変わらない笑顔で優しく指導し、最後の教室を終えた。

 山口さんが凧作りを始めたのは46歳のころ。脳腫瘍となり、手術後のリハビリをしていた際に会津唐人凧に出合った。

 300年以上の歴史を持つ会津唐人凧の由来には諸説あるが、戊辰戦争では落城寸前だった鶴ケ城の上空を舞い、まだ余裕があると新政府軍に思わせたことでも知られる。

 山口さんは舌を出した奇抜なデザインに魅せられて凧作りを始め、日本の凧の会にも入会。青森から京都まで各地の全国大会に年2回ほど出向き、合間に凧作り教室を開いてきた。

 凧作り教室では、会津唐人凧や全国大会の際に全国のグループと交換した凧を展示し、子どもたちや保護者に凧の魅力を伝えてきた。月に何度も教室を開き、約3千人に指導してきたという。

 教室では、当初は和紙などを使っていたが、ビニール袋をインベーダー形に切り抜いた凧を独自に開発し、「名を上げる」という願いを込めた名前やイラストを書いてもらうスタイルで続けてきた。

 微妙なバランスが難しいため、事前に山口さんと妻冨美子さん(84)が2人で型紙から制作しているが、子どもの数が多いと山口さんの負担も大きくなり、けんしょう炎になることもあったという。

 最後の教室は年長児79人と保護者を対象に開かれ、園児らは完成した凧を手に元気に園庭を走り回った。ひらひらと舞い上がる凧を見上げた山口さんは「子どもたちの喜ぶ姿が好きだった。この分だと凧との縁は切れそうになく、今後も機会があれば凧に関わりたい」とつぶやいた。