【福島競馬場100周年】地元一体の誘致運動 市民に愛されたターフ

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今月28日に開設100周年を迎える福島競馬場。地域に根付き福島の近代史と共に歩んできた(日本中央競馬会提供)

 響く競走馬の足音、どよめく人だかり―。大勢の人を熱狂に包んできた福島競馬場(福島市)が28日、開設100周年を迎える。緑の芝コース(ターフ)を舞台に、競馬ファンだけでなく幅広い世代の市民と共に一世紀を駆け抜けた歴史をたどる。

 「12頭の駿馬(しゅんめ)が一斉に疾駆せる壮観を眺めし観客の熱狂は物凄(ものすご)きばかりなり」

 1918(大正7)年6月28日、晴れ渡った福島競馬場。第1回福島競馬が開催され、翌日の福島民友新聞は会場の様子をそう伝えた。県内外からファンが集まり、記事には「暑い事甚だしく、扇がヒラヒラと舞いてちょうど相撲の夏場所気分である」とも記載された。

 第1レースは4歳牡馬(ぼば)の「シノブ」が約20馬身の差を付けてぶっちぎりの勝利。熱気は最高潮に達した。

 初開催に至るには、地元政財界が一体となった誘致運動があった。誘致の中心となったのは福島商工会議所会頭や福島民友新聞社第4代社長を務めた実業家大島要三(1859~1932)だった。

 大島らは経営難に陥っていた静岡県の藤枝競馬倶楽部の福島市移転という形で誘致を実現。競馬場建設のために市民らを株主とする会社が設立された。

 「競馬場はその出発点から、福島市民が深く関わっている。『市民競馬場』と呼ぶにふさわしい」。福島市教委市史編纂室の柴田俊彰さん(68)は指摘する。柴田さんは「(東北初の支店として設置された)日銀福島支店と競馬場は、福島市の歴史を考える上で重要なポイントになる」と話す。

 昭和天皇を歓迎

 戦後、1947年。昭和天皇の東北巡幸の際、地元が歓迎の場に選んだのが福島競馬場だった。「天皇陛下をお迎えする場に選んだことは、いかに競馬場が市民にとって身近な存在だったかを示している」と柴田さん。天皇は52年秋、第7回国民体育大会の馬術競技観覧のため再び競馬場を訪れている。

 競馬場が地元にもたらした経済効果は大きい。東北新幹線開業前の昭和40年代ごろ、夏の福島競馬開催期間の飯坂温泉は競馬関連の宿泊客であふれた。全国から集まるファンだけでなく、福島競馬開催に合わせ首都圏の競馬場からやってくる応援の職員も滞在した。

 熱かった飯坂の夜

 「期間中、温泉街の飲み屋はどこも『○○が来るぞ!』などと競馬の話ばかり。競馬場の職員たちとは随分親しくなった」。飯坂温泉にある温泉旅館「祭屋湯左衛門」の会長中野藤男さん(77)は"熱かった飯坂の夜"を思い出す。東北新幹線開業で首都圏と福島の距離は縮まり、ファンらが貸し切りバスで温泉街に大勢やってくる風景は過去のものとなった。それでも、今も競馬目当ての宿泊客は少なくない。中野さんは笑顔を見せる。「福島競馬開催と聞くと、毎年お客さんを迎えなければと、そわそわした気分になるね」

 新たな100年への幕開けとなる夏の福島競馬は今月30日に始まる。