【森のささやきが聞こえますか】倉本聰の世界(中) 富良野塾

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東日本大震災と原発事故を題材とした「ノクターン-夜想曲」の一場面。倉本さんは県内被災者らの取材を繰り返し、作品を仕上げた

◆演劇志す若者集う 

 黒板家の父子3人が厳しい自然の中で成長する姿を描いたテレビドラマ「北の国から」の最初のシリーズが1982(昭和57)年3月に終わると、舞台となった北海道富良野市には全国から多くの観光客が押し掛けた。また、ドラマに感動した多くの視聴者や、役者、シナリオライターを志す若者からの手紙が倉本聰さんの元に数多く届いた。

 そこで倉本さんは84年4月、役者や脚本家を育てるため「富良野塾」を開塾する。入塾料や受講料、生活費はなし。その代わり塾生は黒板家のように自給自足の生活。農作業で現金を稼ぎ、住まいや活動の場となる丸太小屋を建てた。

 倉本さんは「あなたは文明に 麻痺(まひ)していませんか」で始まる塾の起草文を作り、稽古場の壁に張った。客席のあるスタジオ棟もでき、88年のこけら落としで「谷は眠っていた」を上演。演劇を志す若者が数多くの苦難と闘いながら歩む姿を描いた作品だった。

 倉本さんが本格的にシナリオを書くようになったのは、2年間の浪人生活を経て入学した東大文学部の学生当時。劇団「仲間」の文芸部に入り、ラジオドラマなどの脚本を手掛けた。大学卒業後もシナリオ制作などを続け、28歳でシナリオ作家として独立後は「現代っ子」「君は海を見たか」「赤ひげ」「うちのホンカン」「前略おふくろ様」など映画やテレビに数々のヒット作を送り出し、日本を代表する脚本家となる。

 倉本さんの作品には、自然に根差した生活の中での体験、エピソードが織り込まれている。そして現場に足を運んで作品の設定や登場人物、場面、道具、音などを細かく設定し、情熱や思いを込めて脚本を書き下ろす。  こうした手法は富良野塾の塾生に伝えられ、「ニングル」「走る」「今日、悲別で」などの演劇作品が生まれた。

 2010年4月、約380人の塾生を育てた富良野塾は26年の歴史に幕を下ろしたが、閉塾後、卒塾生を中心に「富良野GROUP」を結成、定期的にオリジナル脚本で演劇を上演している。15年には東日本大震災と原発事故を題材にした「ノクターン―夜想曲」が本県を含む全国で上演された。

■倉本聰の仕事と点描画展

■期間 7月15日(日)~8月31日(金)

■時間 午前10時~午後6時(最終日は午後4時)

■会場 とうほう・みんなの文化センター(県文化センター) 福島市春日町5の54

■入場料 一般1200円、中・高生600円、小学生以下無料

■問い合わせ 福島民友新聞社事業部(電話024・523・1334)へ。