葦名義広と伊達政宗「磨上原の戦い」語る 葦名氏逸話など紹介

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(左から)簗田、斎藤、遠藤、古河、土屋、越田の6氏によるパネル討論

 会津の葦名義広勢と伊達政宗勢の戦い「磨上原(すりあげはら)の戦い」をテーマにしたシンポジウム「検証天正十七年・葦名勢×伊達勢 磨上原の戦いから430年」は8日、会津若松市の会津稽古堂で開かれ、来場者が地域の歴史に理解を深めた。会津葦名一族研究会(簗田直幸会長)の主催。約70人が来場した。

 磨上原の戦いは1589(天正17)年、磐梯山裾野の磨上原で起き、敗れた葦名氏は会津を去った。

 シンポジウムでは、簗田会長のほか、越田勝富田町史談会顧問、土屋重憲前猪苗代町教育長、古河潤一会津河東史談会顧問、遠藤秀一天海大僧正顕彰事業委員長、斎藤香会津史談会副会長によるパネルディスカッションが行われた。

 会津高田(現・会津美里町)出身の天海大僧正と葦名氏の関わり、磨上原の戦いで戦死した葦名氏の家臣3人を顕彰するため会津藩主松平容敬(かたたか)が江戸後期に建立した三忠碑などについて意見を交わした。

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