北塩原・柏木城跡で「堀切」発掘 会津蘆名氏の山城

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本年度の調査で見つかった柏木城跡東側の堀切

 会津蘆名氏の山城とされる北塩原村大塩の村指定史跡「柏木城跡」の発堀調査で、本年度は同城の東側から敵の侵入を防ぐ「堀切」が2カ所見つかった。

 堀切は城内に続く道を挟むように互い違いに造られていた。村教委は「どのように敵の侵入を防ごうかと、蘆名氏が考えていたのかが分かる史跡の一つ」としている。

 村教委によると、柏木城は1585(天正13)年ごろに、伊達氏の会津侵略に備えて造られた。同城は伊達氏が山形県米沢市から会津地方に侵略するためのルート上にあったとされる。

 村教委は国の指定を目指し、2014(平成26)年度から調査を始めた。これまで、城の中心部分「主郭」の東と南側で土塁や堀切が数多く見つかっていたが、堀と城内を通る道との関係が明確でなかった。

 本年度の調査で見つかったのは深さ約1.7メートルと約1.5メートルの堀切。2カ所の堀は互い違いで近くには土塁も見つかっている。

 2カ所の間には城内の東側を通る道が造られていた。村教委によると、伊達氏が城の東側からしか攻められないように何らかの方法で会津地方に向かう道を城内に取り込んでいたと考えられるという。

 県立博物館(会津若松市)の学芸員藤原妃敏さんは「堀と道の関係から柏木城の城造りの全容を考えるための貴重な発見」と話している。

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