写真でたどる新潟の慰霊 第四銀行会津支店で開催、30日まで

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新潟県護国神社の「戊辰役東軍慰霊碑」や新潟大神宮の「殉節之碑」を巡るエピソードが紹介されている第四銀行会津支店ロビー

 新潟県護国神社(新潟市)の「戊辰役東軍慰霊碑」や新潟大神宮(同)の「殉節之碑」再発見をめぐる逸話に触れた「写真でたどる知られざる戊辰史 新潟大神宮『殉節之碑』再発見の物語」は12日、会津若松市大町の第四(し)銀行会津支店ロビーで始まった。30日まで。

 会津弔霊義(ちょうれいぎ)会(芳賀公平理事長)と、同支店の取引先でつくる第四銀行会津四交会(高瀬淳会長)の主催。戊辰150年に合わせ、新たに判明した事実を紹介しようと開いた。

 新潟は阿賀野川河口東口から上陸した薩摩・長州両藩などの西軍と会津・米沢・庄内各藩の東軍が激突した戊辰戦争の激戦地。西軍戦死者が手厚く葬られたのに対し、「賊軍」の汚名を着せられた東軍戦死者は放置されたとされる。

 東軍慰霊碑は、1987(昭和62)年に会津の郷土史家宮崎十三八さん(故人)が「120年鎮魂せず~越後平野に会津藩士の墓なし」との演題で講演したのが建立のきっかけ。新潟商工会議所などの募金活動で戊辰120年に当たる88年に建立された。

 同神社には会津藩士を含む東軍92柱の遺骨も埋葬されている。

 殉節之碑は、戊辰時の藩主松平容保(かたもり)が題字を書いた。建立100年を機に祀裔会(しえいかい)が設立され、毎年慰霊祭が行われている。

 高瀬会長は「越後の人が会津に心を寄せてくれていることを知ってほしい」と話している。