早稲田大総長・田中愛治氏に聞く 「競争力ある学生を育てる」

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たなか・あいじ 1951年、東京都生まれ。早稲田大政治経済学部卒業後、オハイオ州立大で博士号取得。道都大助教授、東洋英和女学院大助教授などを経て、青山学院大法学部教授、早大政経学部教授を歴任し、同大政治経済学術院教授。専門は政治学(投票行動)で、2014年から世界政治学会長を務めた。総長の任期は4年。

 早稲田大第17代総長に5日付で就任した前同大政治経済学術院教授の田中愛治氏は14日、福島民友新聞社のインタビューに応じ「研究や教育で国際競争力を高め、世界で輝く大学にしたい」とかじ取り役としての意気込みを語った。また、ゆかりのある会津に対し「父に『ならぬことはならぬ』の会津の精神を教え込まれた」と先祖への思いを募らせた。(聞き手 社長・編集主幹 五阿弥宏安)

 田中家は会津松平家の初代藩主保科正之に仕え、代々家老を務めてきた名門の家柄。会津藩の中興の人物とされる田中玄宰(はるなか)や幕末の京都で活躍し戊辰戦争の際に自刃した田中土佐などを輩出した。田中総長は明治になって北海道に渡った田中家の子孫。日本共産党幹部を務めた後、反共に転じて昭和史に大きな足跡を残した田中清玄氏(1906~1993年)を父に持つ。

 田中総長は、戊辰150年の節目に幕末の歴史に触れながら「(戊辰戦争開戦前に)幕府から新政府への政権委譲が平和裏になされたはずなのに、新政府軍の振り上げた拳が徳川家でなく会津藩に向けられた。まさにスケープゴート(身代わり)だ」と会津藩の悲壮な結末に悔しさをにじませた。その上で「会津人の生きざまは不器用だが一直線で筋を通す。私も似ており、会津人を受け継いでいる」と語った。

 母校ではあるものの、同大の大学院や助手を経ておらず、戦後初の「生え抜き」ではない総長となった。世界トップレベルの大学の実現に向け「研究のレベル、教育の質をより高めていく」と意気込む。米国で博士号を取得するなど約10年に及ぶ自身の海外経験を踏まえ「世界に比肩する研究を行い、世界の優れた研究者が教育に関わるようにする。競争力のある学生を育てたい」と大学の国際化について熱弁を振るった。

 学内のボランティアセンターに登録する学生が多い。「学問だけを学んでも机上の空論。大事なのは在学中に社会問題を解決する努力。ボランティアをした学生は社会に貢献する意識が劇的に変わる。学問と体験の両面から学生を育てたい」と教育論を披露した。学生からは名前の「愛治」に由来して「ラブ治」の愛称で呼ばれる一面も。「いつのまにか定着してしまった」とはにかんだ。