「奥羽越列藩同盟」歴史的意義を再認識 宮城・白石で歴史シンポ

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奥羽越列藩同盟について意見を交わしたシンポジウム

 戊辰150年の節目を受けて、東北や越後の諸藩で結成し新政府軍に対抗した奥羽越列藩同盟をテーマにした歴史シンポジウムが11日、宮城県白石市で開かれた。同市の白石城は、同盟結成の契機になった会合「白石会議」が開かれた場所であり、歴史的意義を再認識するため企画した。

 目的や狙い議論

 同盟は東北諸藩が会津藩の救済を新政府軍に求める過程で結成された。旧暦の1868(慶応4)年閏4月に東北諸藩が出した新政府への嘆願書が却下され、新政府軍の世良修蔵暗殺や白河口の戦いが始まり、同年5月に正式に同盟が成立。すぐに越後6藩も加わって奥羽越31藩で新政府軍に対抗した。

 講演では、東北大大学院研究員の栗原伸一郎さんが仙台藩の奥羽の主導者の立場を解説。元東北大助教の友田昌宏さんは、仙台藩とともに同盟の盟主となった米沢藩の考えを語った。国立歴史民俗博物館特任准教授の天野真志さんは同盟に加盟したが新政府軍に寝返った秋田藩について説明した。

 討論では同盟の目的や狙いについて意見を交わした。栗原さんは「仙台藩は第一義的に会津征討は間違いと考えた」、天野さんは「秋田藩は戦争を回避する考えがあった」、友田さんは「東北諸藩で考えが違う中、内乱回避で同盟が結ばれた。だが戦闘に至ると動きがばらばらになった」とした。