「棚倉城跡」国史跡に 文化審答申、白虎隊墳墓域は登録記念物

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棚倉城跡=棚倉町棚倉

 国の文化審議会は16日、棚倉町の「棚倉城跡」を国史跡、会津若松市の「会津飯盛山白虎隊士墳墓域」を登録記念物(遺跡関係)とするよう柴山昌彦文部科学大臣に答申した。戊辰戦争から150年を迎えた節目の年に、激戦や悲劇の舞台となった地の歴史的、文化的な価値が認められた。

 審議会の答申通り指定、登録されれば、県内の国史跡は49件目、史跡、名勝や天然記念物を補完する登録記念物は1件目となる。

 棚倉城跡は、1625(寛永2)年から棚倉藩主の丹羽長重(にわながしげ)らが築城。奥羽と常陸の境に位置し、要衝を押さえる役割を担ったと考えられている。戊辰戦争では新政府軍との激しい戦いで落城、町教委が行った発掘調査で当時のものとみられる焼けた土や熱を受けた土壁材などが出土した。江戸幕府の奥羽政策や築城形態を知る貴重な資料となる。

 会津飯盛山白虎隊士墳墓域は戊辰戦争で自刃した隊士を祀(まつ)る墓所。明治時代に整備が進められ、飯盛山の山腹を削って隊士の墓が建立された。隊士を追悼、顕彰する多数の碑も残る。現在は本県を代表する観光地となり、戊辰戦争の悲劇や慰霊の歴史を伝えている。

 有形文化財・野口英世生家、追加指定・上人壇廃寺跡

 また、審議会は世界的医学者の野口英世(1876~1928年)が幼少期を過ごした猪苗代町の「野口英世生家主屋」を登録有形文化財(建造物)、須賀川市の国史跡「上人壇廃寺跡(しょうにんだんはいじあと)」についても伽藍(がらん)の後背部分を範囲に含めて追加指定にするよう答申した。野口英世生家主屋は、英世が1歳半の時に左手にやけどを負ったいろりや上京する時に柱に刻んだ決意文などが現存する。県内の登録有形文化財(建造物)は68カ所、200件となる。

 このほか、天下を統一した豊臣秀吉が、関東の徳川家康ににらみを利かせるため築かせた「甲府城跡」(甲府市)などを史跡に指定するよう答申された。