【人生100年時代】五木寛之さんに聞く(3) 次代へ心の相続

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いつき・ひろゆき 1932(昭和7)年福岡県生まれ。早稲田大露文科中退後、作家デビュー。67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門 筑豊篇』他で吉川英治文学賞を受賞。『生きるヒント』『大河の一滴』『親鸞』など著書多数。近著に『眠れぬ夜のために』(新潮新書)など。

 ―一般的に腹八分がいいと言われますが、よくそれでおなかが持ちますね。どんな生活パターンなのでしょうか。
 「いつも深夜から原稿を書き始めて朝5時に終わり、6時に寝る。起きるのが午後1時か2時。これを50年間続けています。講演会が入るとリズムは乱れますが、実は乱れることも大事です。時には乱拍子と言いますか、規則正しい生活を続けているだけでは良くない。知り合いの詩人で夜9時には必ず寝る人がいますが、外国に行くと時差で生活がガタガタになる。極端に規則正しい生活をしている人は、乱れた時が大変です。ある程度の規則はあっても、少しは変化があったほうがいい」

 ―笑いとともに泣くことも大事だとおっしゃっています。どういうことでしょうか。
 「民俗学者の柳田国男が『涕泣史談(ていきゅうしだん)』というエッセーで『近頃の日本人は泣くことが少なくなってきて怪訝(けげん)だ』と書いている。日本人は本来、とてもよく泣く民族でした。スサノオノミコトなどの神話の荒ぶる神でさえ泣き叫ぶ。近松門左衛門や明治の小説においても日本人はとてもよく泣く国民で、泣く文化をつくってきました。笑いとユーモアは大切ですが、テレビを見て少し笑うくらいでは効果はない。腹の底から気持ちよく笑った時に、心身ともにプラスになるはずです。ストレスを吹き飛ばすような本当の笑いを笑える人は、その反対の悲しみや涙をきちんと流せる人だと思います。うれしい時には笑い、悲しい時に泣くのが人間らしい生き方です」

 ―認知症の患者が増えています。でも介護施設などで昔の慣れ親しんだ作業をしたり、歌い慣れた曲が流れたりすると、表情が生き生きしてくると言われます。
 「認知症には回想療法が最も効果があるとされています。昔のことを正確に思い出す。そのためには『依り代』が必要ですから、昔の本や道具を取っておくこともポイントになるのではないかと思います」

 ―今はやりの断捨離(だんしゃり)とは正反対ですね。記憶を呼び起こす何かが必要なのですね。
 「豊かな回想は年配者の特権です。私は一足の古いブーツを持ち続けていますが、履いたことはありません。1968年、パリの5月革命の現場にたまたま居合わせた時、あらゆる店が閉まっている中、『フランソワ・ヴィヨン』という老舗靴屋だけが開いていました。珍しいからロンドンブーツを1足買って、履かないまま部屋の片隅に50年間転がっています。でも、手に取ると、その時代の風俗、時代の様子、空気感が鮮明によみがえってきます。これが『依り代』です。だからその靴は履かないけど捨てない。戦前、戦中、戦後と生きてきて、膨大な記憶がある。それを回想するのはとても面白いし、豊かな時間を楽しめます」

 ―確かに古い記憶を喚起する思い出の品は必要です。それとともに次の世代にも豊かな記憶を「伝えていく」ことは大事ですね。
 「最近関心を持っているのが『心の相続』です。株や資産のことではなく、私たちは両親からさまざまことを実は受け継いできています。それを振り返って、今度は自分たちが次世代に何を残すべきか考える必要があります。ある時、若い男女の編集者と食事をしたら、女性はとてもきれいに魚を食べる。最後は標本のように骨だけが残った。驚いて『きれいにお魚を食べるね』と声を掛けたら『母がうるさかったものですから』と言いました。その母親は祖母から厳しくしつけられたらしい。つまり若い彼女は魚の食べ方を『相続』していたわけです。一方、男性の編集者は箸をわしづかみにして食べていた。『彼は何も相続していないのだな』と思いましたね。私の場合、何も財産を相続しなかったけど、父が教師で本がとても好きでした。私が本をまたぐと、物差しでバシッとたたかれる。本は大事なものという意識は、自分で気付かないうちに父から受け継いだものです。母も教師でオルガンを弾いていて、北原白秋や野口雨情の歌が好きでした。それを全部覚えています。これらは目には見えない両親からの相続です」

 ―五木さんは本を書き、流行歌を作ったりしてきましたが、ご両親からの「相続」がしっかり伝わっているということですね。「心の相続」はもっと多くの人に知ってもらいたい言葉です。
 「何げない癖やお礼の言い方、人との接し方など、自分では気付かないだけで、じっくり振り返ると親から無言のうちに受け継いだものはたくさんあります。こういう目に見えない相続が大事で、その積み重ねが歴史になっていくのだと思います。個人個人が両親から相続するもの、そして自分たちが子どもたちに伝えたいもの。その大切さに、今を生きる皆さんが少しずつ気付き始めているのではないでしょうか。これからのキーワードだと思います」

 ―ありがとうございました。

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