タカラ創業者・佐藤安太氏が死去 いわき出身、一代で世界的企業

  このエントリーをはてなブックマークに追加 
自らが生み出しただっこちゃん、リカちゃん人形とともに写真に納まる佐藤さん=2009年ごろ

 「リカちゃん」人形や「人生ゲーム」などを大ヒットさせた玩具総合メーカー、タカラ(現タカラトミー)創業者の佐藤安太(さとう・やすた)氏が2月26日、老衰のため死去した。94歳。いわき市三和町出身。自宅は千葉県。通夜、告別式は近親者のみの密葬で行う。4月下旬に、お別れの会を開く予定。

◆子どもに夢、小野に「リカちゃんキャッスル」 

 「リカちゃん」人形や「人生ゲーム」「チョロQ」―。タカラ創業者でいわき市出身の佐藤安太さんは、「アイデアマン」として数々のヒット商品を生み出し、一代で同社を日本有数の玩具メーカーに育てた。背景には、子どもたちの好みを捉えようとする強い情熱があった。

 1924(大正13)年にいわき市三和町で生まれた佐藤さんは、53年にタカラの前身となる佐藤ビニール工業所(東京都葛飾区)を設立。60年、腕に着けるビニール製の人形「だっこちゃん」が大ヒットした。

 「従業員30人足らずのちっぽけな町工場の前には、玩具問屋の人々、デパートのバイヤーらが押し寄せていた。口々に『だっこちゃんをよこせ』と怒鳴っており、異様な光景を目の当たりにした」。佐藤さんは2009年の本紙連載「人生春夏秋冬 私の道」に、大ブーム当時をそう振り返った。「昭和を代表する玩具」が生まれた時代の熱いエピソードだ。

 67年にタカラに社名変更。「リカちゃん」人形が大ヒットしたほか、「人生ゲーム」「チョロQ」「トランスフォーマー」など次々とヒット商品を世に出し、子どもたちに夢を与えてきた。

 同連載で佐藤さんは、「楽しく遊びながら少女たちの美意識や感性が高まり、立派な女性として健やかに成長してほしいと願いながら、『リカちゃん人形』が受け継がれてほしいと思っている」とリカちゃん人形への願いも語っていた。

 93年には小野町にリカちゃんキャッスルをオープン。02年には福島高専(いわき市)との共同研究にも取り組んだ。同時期、福島高専客員教授を務めた須佐喜夫県体育協会長(75)は「年齢に関係なく、意欲的に学び、研究をしていた様子を覚えている。(亡くなられ)残念だ」と語った。

◆いわきで応援大使 古里へ強い思い 

 佐藤さんは古里・福島にも思いを寄せ続けた。  小野町のテーマパーク「リカちゃんキャッスル」がオープンした1993(平成5)年、同町の大和田昭町長(71)は「今までに見たことがないくらい道路が渋滞していた。夢のある施設ができたと感じた」と振り返る。

 東日本大震災で一時休業したものの、再開後の来場者寄せ書きスペースは、リカちゃんを応援する全国のファンのメッセージで埋まった。

 出身のいわき市では応援大使などを務めたほか、講演なども度々行った。「仕事一辺倒の父にとって、福島は仕事から離れて休める場所だった」。次男慶太さん(61)は小さい頃、家族で里帰りしたことを思い出す。

 古里への思いは「リカちゃんキャッスル」に象徴されているという。オープン当時、工場の海外進出が主流だった。「思い切った対応だったが、リカちゃんキャッスルを実現させたことこそ、福島への思いの表れだと思う」と振り返った。

 86歳で山形大大学院の工学博士号を取得するなど、常に前を向いていた佐藤さん。

 慶太さんは「勉強熱心で前向き。5年後、10年後の話しかしなかった」と亡き父の姿を思い起こした。