着実な廃炉に全力 東電・田村さん「県内でずっと働きたい」

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廃炉を着実に進めるとの決意を見せる田村さん(左)

 廃炉作業が進む東京電力福島第1原発。大熊町の新事務本館でパソコンに向かう福島第1廃炉推進カンパニーの田村善孝さん(26)=浪江町出身=の表情には廃炉を着実に進めるとの決意がにじむ。「難しい廃炉作業。東電にいる限りは県内でずっと働きたい」

 旧小高工高の3年生だった8年前の3月11日。東電への就職が決まり、アルバイトを終え、町内の中学校で友人とキャッチボールをしていた。穏やかな日常を切り裂く大きな揺れに驚いて帰宅すると、テレビに津波の映像が映し出され、大波が第1原発へと押し寄せていた。「当時は、こんな事態になるとは思っていなかった」

 翌12日の早朝、防災無線で一斉避難が呼び掛けられた。第1原発の関連企業の社員として働いていた父、祖父の3人で浪江町の津島方面に逃げた。だが避難の理由は分からず、「取りあえず、という気持ちで避難したのを覚えている」。テレビで1号機の映像が繰り返し放送されるのを見て水素爆発が起きたと知った。

 3号機の水素爆発をきっかけに親戚が住む神奈川県に避難。爆発への危機感はあったものの、「避難という緊迫した状況」で当時のことをあまり覚えていない。その後、東電から柏崎刈羽原発(新潟県)での勤務を告げられ、4月から3年間働いた。2014(平成26)年4月から第1原発での勤務が始まると、空間放射線量の高さや全面マスクの作業員が行き交う様子に驚いた。

 地元の企業で働きたいと東電を就職先に選んだ。父の影響もあり、原発は幼いころから身近な存在だったが、原発事故によって安全神話は崩れた。だからこそ、「自分のようなつらい経験を、他の人には絶対させたくない」との思いで廃炉作業に向かっている。

 現在はタンク関係の設計業務のためデスクワークが中心だが「現場が好き。建設現場の工事監督とか、第一線で働いてみたい」と意欲を口にする。東電や関連企業に就職した友人も多く、励まし合いながら取り組んできた経験が財産となっている。「浜通りの活性化に向けて多くの人が戻れるようにリスクを取り除くことが重要」。廃炉完了までの道のりは遠く険しいが、今できることに全力で取り組む決意は揺るがない。