東日本大震災から11日で「8年」 大熊・大川原...再生の夜明け

  このエントリーをはてなブックマークに追加 
朝日を浴びる新庁舎を中心とした復興拠点(右手前)。海沿いに東京電力福島第1原発の排気筒や3号機建屋を覆うドーム形の屋根が見える(左奥)=10日午前6時15分ごろ、大熊町

 空が白み始めると、水平線からゆっくり姿を見せた太陽に照らされ、灰色と木目調の温かな雰囲気の役場庁舎の外観が浮かび上がった。今春、東京電力福島第1原発事故の避難指示が解除される大熊町大川原地区。新しい役場庁舎を中心とした復興拠点の完成が間近だ。全町避難から長い歳月を経て、町は再生の夜明けを迎える。

 完成間近、復興拠点

 新庁舎から約200メートル先では、町に戻る住民向けの公営住宅50戸の建設が進んでいる。平日はショベルカーやクレーンがフル稼働し、建材を積んだ大型トラックが慌ただしく行き交う。「昼前に仕上げるぞ」。工事関係者が汗ばみながら同僚に声を掛けた。新たな営みを始めようとする住民を迎えようと、工事は急ピッチだ。

 現在、大川原地区は居住制限区域で、新庁舎周辺の空間線量は毎時約0.1マイクロシーベルト。JR大野駅や役場があるかつての町中心部から約4キロ離れ、富岡町との境に位置する。新庁舎近くの小高い山から町を眺めると、海岸沿いに第1原発の排気筒やドーム形の屋根で覆われた3号機建屋がかすんで見えた。

 「この家が好きだから帰ってきたんだけど、やっぱり不便だね」。昨年4月、新庁舎から徒歩1分ほどの自宅に準備宿泊で戻った女性(72)は苦笑いを浮かべた。運転免許証を自主返納したため、一緒に暮らす長男の運転で1週間に1度ほど約10キロ離れた富岡町のスーパーまで買い出しに行く。

 1万人暮らした町どう取り戻す

 長い避難生活を経て、かつて暮らした町に戻る考えの住民はまだ少ない。住民登録がある1万367人のうち、避難指示が解除される大川原地区と隣接する中屋敷地区の準備宿泊登録者は48人(2月28日現在)。女性の知人の多くも避難先の会津若松市やいわき市に家を構えた。両地区で住民を受け入れる態勢は着々と整うが、女性は「戻ってくる住民のほとんどが高齢者だが、医療機関もない。少しでも便利にならないと町は元通りにならない」と寂しげだ。

 町は住民帰還の促進に向け、大川原地区と富岡町内の医療機関や商業施設を結ぶバスを運行するほか、公営住宅の入居が始まる6月に合わせて仮設食料品店の開店も計画する。いわき市で10日に開かれた町の住民説明会。渡辺利綱町長は「長い時間をかけて、町民の思いに答えられるようなまちづくりに取り組んでいく」と前を見据えた。

 東日本大震災からきょう11日で丸8年を迎えた。かつての町の姿を取り戻すため、町は少しずつ歩みを重ねていく。