悲劇忘れず古里・浪江尽くす...佐藤さん「みんなの心を繋げる」

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資機材を確かめる佐藤さん

 地元の浪江町役場で佐藤和希さん(27)が働き始めてから間もなく1年がたつ。東京電力福島第1原発事故による避難指示がおととし3月に解除された故郷。総務課防災安全係で日々業務に当たる佐藤さんは「悲劇を忘れず、有事の際には町民の安全・安心を第一に対応したい」と固く誓った。

 佐藤さんは町東部の北幾世橋で生まれ育った。双葉高を卒業後、茨城大工学部に進学。1年生が終わる2011(平成23)年3月11日、水戸市にあるキャンパスで被災した。自身にけがなどはなかったが、実家の両親と一時連絡が取れなくなった。「両親の安否、そして故郷がどうなってしまうのか分からず、やきもきした」。佐藤さんは当時の状況を振り返った。

 両親は浪江町津島、川俣町を経由して福島市に避難して無事だった。ただ慣れない土地での生活に父は体調を崩した。「息子の自分が何とかしなければ」との思いが募り、休学して両親と同居することにした。昼は父の付き添いをし、夜は飲食店でアルバイトをする日々を送り、その後、大学を中退した。

 町に出されていた避難指示が一部地域を除き解除されることになった。リハビリのおかげで父は元気を取り戻し、自宅に戻ることになった。ちょうどその頃、町職員をしていた同級生に役場で働かないかと誘われた。「震災があって古里への思いが強まった。復興は道半ば。もう戻らないという友人もいるが、誰にでもある古里を思い出のままにしたくない」と働く決意をした。

 18年4月に入庁。現在は原子力災害担当として、東電からの通報受信や国、県との通信手段・防災計画の見直し、県から貸し出されている防災資機材の管理など幅広い業務をこなしている。「まだまだ(上司や同僚の)要求に応えることができず、どうすればうまくいくのか」と悪戦苦闘している。

 「町職員になって豊かな自然などたくさんの魅力が浪江にはあったと気付いた」という。しかし、原発事故で失われたものも多い。その失われたものを少しでも取り戻そうと住民との交流を続ける。「人と人のつながりが助けになり、力になる。頑張っている人を応援していきたい」と佐藤さんは前を向いた