世界遺産も夢見て...「会津日新館天文台跡」 日本天文遺産認定

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先人たちの努力で今の時代まで残った会津日新館天文台跡。石垣や祠が設けられた

 日本天文遺産として認定された「会津日新館天文台跡」(会津若松市)。戊辰戦争などの困難に見舞われたが、地域の人々によってひっそりと守られてきた。関係者は認定決定を喜び、日本初のユネスコ世界天文遺産への登録も見据える。

 「認定は大変光栄。だが、まだ市民でも知らない人がいる。その存在がしっかりと伝わってほしい」。天文台跡がある会津若松市米代1丁目の町内会長佐藤武司さん(60)は願う。地元住民は幼い頃から親しみ、「町内会の宝」として草刈りなどの保全活動を続けてきた。

 だが、鶴ケ城や飯盛山など観光名所が多い会津で、天文台跡は住宅地の中にあるなど、目立ったスポットではない。町内会などは認定候補になったことをきっかけに、市に整備を要望。市は北側の隣接地を取得し、学習活動の場として活用する方針を固めている。

 戊辰の戦火

 天文台跡は、これまで大きく姿を変えてきた。大きな転機となったのが1868(慶応4)年の戊辰戦争。日新館は傷ついた会津藩士の病院として使用された。西軍が迫ると、建物には火が放たれた。天文台は日新館の唯一の遺構になった。

 市教委の近藤真佐夫さん(61)は「かつての外観は、今とはだいぶ違うようだ」と明かす。1925(大正14)年までには、天文台跡の北側半分程度が取り壊された。石材の使用は当初、一部に限られていたが、全面が石で覆われることになった。上部には祠(ほこら)も建てられた。近藤さんは「当時の面影は、少ないのかもしれない。だが、今の姿には、石を積んでまで日新館の名残である天文台を残そうとした人々の思いが込められている」と話す。

 PRに弾み

 天文台跡を世界に発信しようという動きもある。元会津天文同好会長の薄謙一さん(52)は「日新館天文台跡保護推進プロジェクト」を発足させ、パンフレットを作るなどして、PR活動を続ける。目指すは国内第1号となるユネスコ世界天文遺産への登録だ。「貴重な史跡を世界に発信できる。日本天文遺産認定で、登録に向けた活動にも弾みがつく」と語った。

 上部に入場当面は禁止

 会津若松市教委は、見学者の増加が予想されることから、日新館天文台跡の上部への入場を当面禁止すると発表した。また、周辺に駐車場がないため、自家用車を使用する場合、徒歩10分の距離にある鶴ケ城西出丸駐車場を利用するよう呼び掛けている。