お札と福島県...『エン』続く! 20年ぶり紙幣刷新、24年度発行

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渋沢栄一の筆跡で彫られた社号標と中目さん=白河市・南湖神社

 2024年度に紙幣が全面的に刷新されることが発表された9日、肖像画に用いられる3人にゆかりのある県内の関係者は、思わぬ"吉報"を喜んだ。千円札の「顔」だった本県の誇る「医聖」野口英世からの変更を惜しむ声がある一方、新札が発行される5年後に向けて、期待は早くも膨らむ。

 「南湖神社」伝える偉業 いわきの炭鉱発展も

 【1万円札・渋沢栄一】白河市の南湖神社の建設に深く関わった渋沢栄一。「渋沢先生の協力がなければ南湖神社はできていない」。宮司の中目公英さん(58)は、偉大な貢献に感謝する。

 お札(ふだ)に書かれる「南湖神社」の文字は、渋沢が直筆した筆跡を使用しており、敷地内にはその筆跡で彫った社号標や鳥居の社号額などがある。宝物館には1922(大正11)年に渋沢が参列した同神社鎮座祭の写真なども飾られている。

 「南湖神社や本県とゆかりが深いことを県民や国民にさらに認識してもらいたい」と中目さん。「新たな1万円札を見て思いをはせてもらい、南湖神社に立ち寄った際には、(松平)定信公と渋沢先生を顕彰してほしい」と期待を込めた。

 また渋沢は、西南戦争で石炭が高騰した明治時代、いわき市の石炭に着目。当時は手掘りで採掘していたが、機材を導入して効率化を図るなど、技術発展に寄与した。「日本資本主義の父として、いわきの炭鉱発展を担った」。同市石炭・化石館の学芸員渡辺文久さん(49)は渋沢の足跡を振り返った。

 社会福祉事業にも尽力した渋沢は、「日本のナイチンゲール」と呼ばれた喜多方市出身の社会慈善家瓜生岩子の偉業をたたえる像を1901年、東京・浅草寺に建立。岩子の子孫に当たる喜多方市の熱塩温泉山形屋社長の瓜生泰弘さん(63)は「岩子の慈善事業を応援してくれた深い縁で結ばれている。互いの功績とともに社会福祉が深まるきっかけになれば」と期待を寄せた。

 「津田塾」を支える大山捨松 日本初の女子留学生

 【5千円札・津田梅子】津田梅子と共に渡米した日本初の女子留学生の中には、大山捨松(1860~1919年)がいた。捨松は、元会津藩家老で陸軍少将も務めた山川浩(大蔵)や東京帝国大総長などを務めた山川健次郎の妹で、薩摩藩出身の大山巌と結婚後、社交界にデビューし「鹿鳴館の華」と呼ばれた。

 津田が1900(明治33)年に開学した女子英学塾(後の津田塾大)では顧問に就任。津田が健康上の理由から塾長辞任の意思を示すと、捨松が塾の運営を取り仕切ったという。

 山川健次郎顕彰会の宗像精(ただし)会長(86)は「会津人にゆかりの人物が肖像画に選ばれるのは喜ばしい」と話した。

 野口英世は代わるけれど...弟子から恩師へ

 【千円札・北里柴三郎】千円札の肖像画は、野口英世から北里柴三郎に受け継がれる。北里は英世の恩師に当たり、師弟関係にある細菌学者同士が時代を超えてバトンをつなぐ。

 猪苗代町の野口英世記念館などによると、英世は北里が所長を務めていた伝染病研究所で約1年、助手を経験した。また北里は、後に米国で英世の恩師となる病理学者シモン・フレキスナーとの縁も作った。英世が米国からただ一度の帰郷を果たした1915年には、歓迎会を主催したという。

 突然の知らせに、英世の千円札起用と同じように驚いたという八子弥寿男館長(81)は「英世の肖像がもっと長く続いてほしかったので残念だが、縁のある2人がつながった。ぜひ記念館で2人が並ぶ展示を企画したい」と早くも意欲。野口英世記念会の元専務理事で現在は英世の恩師小林栄顕彰会の専務理事を務める小桧山六郎さん(73)は「弟子の英世から、恩師の北里博士というのが面白い。研究者として代わる相手が先生なら納得だ」と笑顔を見せた。