会津藩家老・田中土佐の短刀寄託 玄孫が福島県立博物館に

  このエントリーをはてなブックマークに追加 
木暮さんが寄託した(下から時計回りに)土佐が此に託した短刀、晩年の此の写真、ユキを抱く此の写真、斎藤一の妻時尾の写真、根付

 戊辰戦争時の会津藩家老・田中土佐の玄孫に当たる木暮陽子さん(70)=神奈川県横須賀市在住=が17日、夫の美奈夫さん(72)と会津若松市の県立博物館を訪れ、土佐が四女此(この)に託した短刀などの史料計5点を寄託した。木暮さんは「短刀が朽ち果てずに会津の地に戻ってきて良かった。不思議な因縁を感じる」と話した。

 短刀は全長16.2センチ。1868(慶応4)年に落城が避けられない状況となる中、土佐が当時6~7歳だった此を落ち延びさせることを決意した際に「何かあったらこれで喉を突くように」と託したもの。同博物館は「目立ったさびがなく、古い刀などは変色してしまうものが多いが、状態は悪くない」と分析した。

 此は短刀を携えて生き延び、廻船問屋などを営んでいた浅羽家に嫁いだ。3人の子どもを授かり、長女ユキは会津にゆかりが深い新選組の斎藤一の次男剛と結婚。生まれて間もない長女ユキを抱く此、晩年の此、斎藤一の妻時尾(ときお)の3枚の写真も寄託された。時尾の写真は1907(明治40)年に撮影されたものとみられる。

 同博物館によると、時尾を含む家族写真は確認されていたが、時尾が1人で鮮明に写っている写真を確認するのは初めてという。

 さらに、斎藤一が新選組局長の近藤勇からもらったと浅羽家に伝わる「根付」も寄託された。根付は、僧に化けたキツネ「白蔵主(はくぞうす)」がモチーフで、帯留めなどに使われていた。

 同博物館は、寄託された史料の展示を検討している。同博物館学芸員の栗原祐斗さんは、「当時の女性の悲劇を物として伝えるものは数少ない」とし、「刀匠に意見を聞くなどして詳しく調べたい」と話した。