「山寺」14世紀まで存在か?遺構から北宋銭 坂下・高寺山遺跡

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高寺山遺跡で出土した北宋銭(右)。左の図のような文字が書かれていたとみられる(図は「中世の出土銭」より)

 9世紀前半の山寺(山岳寺院)跡とみられる遺構が見つかった会津坂下町の高寺山遺跡で、12世紀の北宋銭が新たに出土したことが30日、町教委への取材で分かった。町教委は、会津地域での北宋銭の出土状況から「少なくとも13~14世紀ごろに山寺が存在していたとみることができるのではないか」としている。

 町教委によると、北宋銭の出土自体は珍しくないが、山寺が存在していた時代を類推する史料となる。出土した北宋銭は12世紀に鋳造されたが、会津で一般的に流通したのはそれより100年以上後だという。山寺の創建時期については、出土品などから9世紀初頭ごろまでに建立されたとみられているが、それ以外は詳しく分かっていなかった。

 北宋銭は「政和通宝」で、直径2センチほど。山寺の本堂があった可能性が指摘されている遺構北部の平場で6月27日に見つかった。この平場ではほかにも、土器や割れ石などが出土している。

 遺構ではほかに、西側の平場で見つかった八角形の建物跡の寸法が、国宝の広隆寺(京都市)の桂宮院本堂と酷似していることも新たに分かった。建物跡からは礎石や礎石を支える根石などが出土したが、礎石などの間隔がほぼ同じ長さだったという。建物跡近くでは、寺院建築の基礎となる基壇跡とみられる盛り土も見つかっている。

 町教委は30日、町埋蔵文化財センターで発掘調査の説明会を開き、吉田博行町教委専門委員が現況を説明した。

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