患者と笑い合う...これも医療 小高を支える『鉄人』非常勤医師

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被災地で求められるのは「患者と納得するまで話し合う医療だ」と話す中尾さん=南相馬市小高区・JR小高駅前

 「高齢化に人口減少...。小高は将来の日本の縮図。必要なのは患者と納得するまで話し合う医療だ」。南相馬市小高区にある市立小高病院の非常勤医師中尾誠利(まさとし)さん(49)は、被災地で求められる医療をそう考える。

 茅ケ崎から5時間

 小高病院が再開した2014(平成26)年4月から毎週、自宅がある神奈川県茅ケ崎市から新幹線と電車を乗り継ぎ、約5時間かけて出勤する。スーツに黒色のハット、大きなスーツケースがトレードマークの「鉄人医師」はJR小高駅に降り立つと、道行く顔なじみの住民に笑顔で手を振り、歩いて病院へ向かう。

 普段は茅ケ崎市で産業医として働く中尾さん。小高区との関わりは東日本大震災前の11年1月、医師不足だった小高病院の医師募集を知ったことがきっかけだ。2月に応募した直後の3月、震災と東京電力福島第1原発事故が起きた。

 「辞められないでしょ」

 「男として辞められないでしょ」。第1原発から半径20キロ圏内の小高区には避難指示が出され、勤務予定だった小高病院は休診になった。その後、南相馬市が独自で募っていた医療ボランティアに手を挙げ、原町区の市立総合病院で5月から、無給で被災者ら患者の治療に当たった。

 野生のイノシシやサルが小高区の街中を闊歩(かっぽ)していた14年4月、再開した小高病院でようやく勤務を開始。現在は火、金曜の週2回、外来診療を担当する。

 「もう一度農業を始めたい」「相馬野馬追に出たい」―。訪れる患者の願いはさまざまだが、「病気を診ずして病人を診よ」を心に刻む。教科書通りではなく、長引く避難生活から帰還した患者一人一人の生きがいと向き合った"オーダーメード"の医療。「家にいれば気がめいることもある。患者と笑い合うことも仕事だと思う」。中尾さんがいる診察室は、笑い声が絶えない。

 避難指示の解除前から見つめ続けてきた小高区。「子どもたちの笑い声が戻ってきたことが一番の変化で、住民の元気の源」と解除後の3年間を振り返る。全ての住民が「小高は復興した」と感じた時が復興の完了だと考えている中尾さん。「小高が復興するその日まで、辞めるつもりはない」

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