馬場有浪江町長が死去 69歳、原発事故後の復興対応で陣頭指揮

 

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後、復興に向けた陣頭指揮を執ってきた浪江町長の馬場有(ばば・たもつ)氏が27日、福島市の病院で死去した。69歳。自宅は浪江町権現堂字下続町25の6。浪江町との合同葬として通夜は7月2日午後6時、告別式は3日午後1時から南相馬市原町区のフローラメモリアルホール原町で。葬儀委員長は副町長の宮口勝美(みやぐち・かつみ)氏、喪主は長男大輔(だいすけ)氏。

 馬場氏は原町高、東北学院大経済学部卒。町議4期、県議1期を経て、2007(平成19)年に町長に初当選し現在3期目。原発事故により全町避難を余儀なくされ、町民と共に避難生活を送りながら二本松市に役場機能を移転した。

 原発事故当初に町に事故を報告しなかったとして東電を厳しく批判し、責任を追及する姿勢を崩さなかった。13年には原発事故に伴う町民の慰謝料増額を求め、町が代理人となり原子力損害賠償紛争解決センターに裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てた。

 17年3月の一部地域を除く避難指示解除を機に、役場機能とともに町内に帰還。故郷を守る「町のこし」の取り組みを進め、町内での小、中学校の開校や産業団地の造成、災害公営住宅の整備などに尽力した。

 14年に胃がんのため手術を受け、17年12月からは福島市の病院に入院しながら公務に当たっていた。

 しかし今月13日、「医師の診断では、日常生活を送るのも非常に困難」として町議会に同30日付の辞職願を提出、同意されていた。町規則により14日から次期町長が決まるまで宮口副町長が職務代理者を務めている。

 県によると、現職市町村長の死去は、10年8月の小室康彦中島村長以来。

 馬場氏の辞職に伴う浪江町長選は7月26日告示、8月5日投開票で行われる。