【福島県知事選・争点を問う】帰還中心、復興描く 将来像再考の時

 

 「あの時は道標がはっきりしていなかった。自分にとって避難指示解除は意味がなかった」。宮城県名取市の自宅居間で、男性(71)は2016(平成28)年7月に古里の南相馬市小高区の避難指示が解除された時のことを思い出す。

 男性が話す「あの時」とは、自宅のある小高区への帰還を諦め、14年に避難先の仙台市に隣接する名取市に自宅を建てることを決断した時だ。「避難指示の解除の時期が遅すぎた」。男性は避難先の自治体で生活再建を果たし、古里に帰還しないことを決断した避難者の思いを代弁する。

 帰還困難、居住制限、避難指示解除準備の三つに再編された13年8月、11市町村に計約1150平方キロあった避難区域は県土の2.7%に当たる約370平方キロに縮小した。15年9月の楢葉町から17年4月の富岡町まで、8市町村で帰還困難区域を除き避難指示が相次いで解除された。

 しかし、国や県、被災市町村が復興の礎として期待した住民の帰還は進んでいない。県によると、7月1日現在の居住率(転入者を含む)は富岡町7.3%、浪江町5.3%などと低調に推移。解除後、間もなく丸3年が経過する楢葉町も48.1%と、原発事故前の半数に届かないのが実態だ。

 ■住民苦悩の決断

 復興公営住宅の整備、スマートフォンやタブレット端末向けの「帰還支援アプリ」の開発・提供、県ふたば医療センター付属病院の開院、企業や農家の事業再開、営農再開に向けた支援制度の拡充―。内堀県政は国、被災市町村と連携しながら、住民帰還に向けた環境整備の施策を矢継ぎ早に展開してきたが、住民帰還の動きは鈍い。「同居する孫から『(避難先の)学校を転校したくない』と言われたことが避難先にとどまることを決めた大きな理由。子や孫の学校、就職などの問題が多くの人が帰還できない理由だと思う」。男性は帰還が進まない背景に、自身と同じ境遇の人々の苦悩、決断を察する。

 「避難指示解除=帰還」「帰還=復興」。避難指示の解除が加速度的に進んだ時、願望のように思い描いていた復興の形は非現実的なものだったのだろうか。男性は「人が戻らない自治体はどうなるのかと思うときもある。ただ、帰還が復興のバロメーターでなくてもいいのではないか」と話す。震災発生から7年5カ月が経過した今、住民帰還の行方に左右されない被災地の将来ビジョン、地域づくりの在り方について改めて議論すべき時が来ている。