【復興の道標・ゆがみの構図-6】海外に届かぬ今の姿 理解促すアプローチ

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 「5年前、福島第1原発の爆発映像や津波の映像が何度も繰り返し流れ、それが台湾人の記憶に刻まれている。私も『福島』と聞くと、当時の情景しか浮かばなかった」。1月29日、政府が進める対日理解促進交流事業に参加して台湾から本県を訪れた国立政治大4年の薛明雅(シュエミンヤー)(22)=台南市=は語った。

 現在、台湾で本県の状況が報道される機会は少ない。「放射線の影響がある。福島に行くのは危険でないか」と親が心配した。薛は言う。「台湾人にとって福島は『まだ足を踏み入れることができない土地』というイメージだ」

 実際、福島県に来て驚いた。「まだ入れない地域はあるとはいえ、それ以外は日本の他の場所と変わらない」。2月1日まで、会津を観光したり、福島市の除染情報プラザを訪れるなど、復興の進み具合を学んだ。生まれて初めて、本格的な雪も見た。

 海外にも大きな衝撃を与えた東京電力福島第1原発事故。当時の印象はその後も更新されないままだ。「福島=危険」の図式が国内はもとより、外国人旅行者を激減させた。観光庁の宿泊旅行統計によると、昨年1~10月の本県の外国人宿泊者数は4万3100人。都道府県でワーストクラスだ。

 正しい情報発信が求められる一方で、海外の人の「止まった記憶」にアプローチしようとの取り組みも始まっている。「当時の印象が強いだけに、『いつか福島に行ってみたい』と思っている人は多いはずだ」。復興支援の一環で、本県を訪れるツアーの企画に携わる「ブリッジ・フォー・フクシマ」(福島市)代表理事の伴場賢一(45)は言う。

 昨年7月、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボにある「スナイパー通り」を訪れた。1992(平成4)~95年の紛争当時、市民などを狙う狙撃手の銃撃が絶えなかった場所だ。紛争を紹介するツアーが組まれ、現地の人が当時の様子を話してくれた。「この地を訪れるのは社会問題に関心がある欧米人。毎年、バカンスに合わせて旅する層と重なり、海外旅行の頻度も多い人たちだ」

 原発事故後、伴場が企画した相双をめぐるツアーも参加者の内訳を分析すると、国内外の社会問題に関心があるような人が多かった。「こうした人たちをもっと福島に呼び込むことができれば」と考えている。

 本県の観光資源は「人」だと、伴場は思う。5年前、生死を分ける判断を迫られた浜通りの人、復興に向け歩む人。「県外に広く紹介したい人がたくさんいる」(文中敬称略)

 (2016年2月5日付掲載)