【復興の道標・賠償の不条理-1】避難者に向かう視線 「働く意欲」失う人も

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避難者が集中するいわき市。賠償が救済とは逆の効果ももたらしているとの指摘がある

 「これって、差別だよね」。いわき市で生まれ育った自営業の女性(34)は、子どもが通う保育所で初対面の保護者に会った際などに、その人が原発事故の避難者かどうか、心の中で探っている自分に気付いた。

 そんな自分が嫌になる。原発事故前はなかった感情だ。「言葉に出さなくても、いじめと同じことをしているのではないか」

 避難者が集中するいわき市。避難住民は1人につき月10万円の慰謝料などを東京電力から受け取っている。女性は、原発事故の被害はお金でしか賠償できず、避難者が受け取るのは当然の権利だとは思う。「でも、5年もたつのに一律の賠償が必要なのか」。移住して市内で生計を立てているのに、今も賠償を受けている人のことも聞いた。

 誰でも、頑張って働いた分だけお金がもらえる。しかし、避難者は違うと感じる。「『どうせ賠償金もらっているんでしょ』という目で避難者を見てしまう。平等な気持ちで接することができない」。古里のいわきが、住みにくい街になった。

 原発事故により突然避難を強いられ、大きな損害を被った人に当然支払われるべき賠償金。それを受け取る避難者の中には、外からの視線を気にして、ひっそり暮らしている人たちもいる。賠償金が本来の趣旨とはかけ離れた不条理を生み出している面もあり、避難者自身からも疑問の声が上がる。

 「賠償金は必要だった。しかし、賠償の結果、救済とは逆の効果をもたらしてはいないか」。浪江町から避難している内科医の尾沢康彰(63)は、そんな疑問をずっと持ち続けていた。

 尾沢は公立小野町地方綜合病院(小野町)で働いているが、事故前の収入との差額が賠償されたため、働いても働かなくても収入は変わらなかった。避難者の中に、働く意欲を失った人がいることも知っている。

 尾沢にとって最も幸福な時間は夜、仕事を終えて自宅に向かって高速道路を走っている時だ。「仕事でくたくたに疲れ、余計なことを考える余地がない時間。仕事がなかったら、先の見えない将来のことをどうしても考えてしまっただろう」

 働く意欲を奪い、人と人とのあつれきを生んだ賠償金の負の側面について、尾沢は「受け取ること自体を悪くは言えない」という風潮から今まで放置されてきたと考える。「賠償が続くとそれを当たり前と思ってしまうものだ。そうした人間の本質を踏まえ、もっと早く賠償の在り方を議論すべきだった」

 避難者と受け入れ先の住民。相互理解が求められているが、心の溝は根強く残る。「普段は言えねえけどなあ。ちょっとおかしいよなあ」。南相馬市原町区の60代の自営業男性は、訪れた客が避難者へのそんな本音を漏らした時だけ、自分も普段は胸に秘めた避難者への不満を打ち明けている。

 避難区域の小高区や、双葉郡からの避難者が周囲にいるが、隣組に入らず地域住民としての役割を果たそうとしない人や、被害者意識を強調するような人にいらだちを覚える。

 だが、苦しみを味わってきた避難者に直接不満は言えない。「こんなもやもやした思いを抱えて生活していかなければならないのはつらい」(文中敬称略)

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 原発事故の賠償金。避難者が受けた損害は極めて大きく、東京電力の支払いは当然の措置だが、巨額の金をめぐる不条理が県民を悩ませる。賠償金や、事故に伴い設けられた補助金について、5年の節目に考える。

 (2016年3月4日付掲載)