【復興の道標・賠償の不条理-2】「再開」「廃業」どう決断 自立のための支援

 
生花店「美花(みはな)」。社長の神長倉さんは町に戻って事業を再開させることを目指している=浪江町権現堂

 「毎日、いい汗かいて充実感を得る。人間はそうやって働いてなければ生きていけない」。浪江町で生花店「美花(みはな)」を経営していた神長倉(かなくら)豊隆(65)は、東京電力の賠償金には固執しない。「賠償よりも、事業再開のための応援制度を充実させてほしい」

 1952(昭和27)年に創業した生花店を受け継いだ。2代目の神長倉は郡山市で避難生活を送るが、避難指示解除後に町内で事業を再開させたいと考えている。培った知識を生かし、生花店の経営に加えて新たに花の生産にも取り組むつもりだ。「花を再生の切り札に、古里を子孫に受け継ぐことができる町として残したい」

 前を向くことができる事業者ばかりではない。それも承知だ。浪江町商工会には神長倉ら625の事業者が所属、このうち避難先などで事業を再開させたのは225で全体の3分の1程度。全国の商店街と同様、後継者問題は原発事故前から地域の大きな課題で、事業を再開させていない400事業者の中には廃業を選ぶ人も少なくないと考えている。「賠償の支払いが終わったら、バタバタ出てくるかもしれない」

 「5年が経過し、『賠償はもう打ち切りだろう』という覚悟はみんな持っている。しかし先が見えないので、事業再開を目指すにも廃業するにも決断できない」。浪江町商工会事務局長の島田龍郎(62)は、事業者が抱える葛藤を代弁する。自身も二本松市の仮設住宅で暮らす。「住む場所さえいまだ定まらないのに、商売のことまで考えられないという人は多いだろう」

 再開か廃業か―。避難を強いられた事業者の決断が顕在化してくるのはこれからだ。島田は、政府が2016(平成28)年度からの5年間を「復興・創生期間」と位置付け、被災地の自立につながる支援策を講じるとしていることに注目する。「町に戻って再開しても、公的な支援がなければ商売は成り立たない。『私の代で店は終わりにする』という人の生活保障も必要だ。事業者が選択できる『道しるべ』になる施策を期待している」

 「帰っても地獄」。神長倉は、避難指示解除に伴いどれだけ町民が戻るか分からない状況の中、町内での再開に伴う大きな困難を覚悟する。

 同時に、その困難は避難先で事業を始めても、廃業を選んでも生じるものだと理解している。「どの選択肢を選んだとしても、自立のためのサポートはしてほしい」(文中敬称略)

 (2016年3月5日付掲載)