【震災7年・時間を超えて】記者ルポ(1)新堤防包む静寂、須賀川・藤沼湖

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藤沼湖で森さん(左)から説明を受ける大内記者。左奥には新しくなった堤防が見える

 福島県須賀川市の藤沼湖を先月末、6年ぶりに訪ねた。この日は曇天の下、雪が舞っていた。「湖」の東側に真新しく整備された堤防がある。7年前に轟音(ごうおん)が鳴り響いた場所とは思えない静寂に包まれていた。

 2011(平成23)年3月11日、東日本大震災で農業用ダム「藤沼湖」は決壊した。当時、ダムに貯水されていた約150万トンの水が下流に流れ下り、一気に集落をのみ込んだ。7人が死亡、今でも幼児1人が行方不明となっている。

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 震災発生から間もない3月11日夕、当時、須賀川支社に勤務していた記者は、市職員や警察官らが集まっていた須賀川市役所の駐車場で情報を集めていた。

 「藤沼湖が大変なことになっているらしい」。知り合いの警察官が、深刻な表情で記者に伝えてきた。須賀川市は震災の地震被害では県内でも深刻な自治体だった。市中心部から藤沼湖方面に続く国道118号もあちこちにひびが入り、陥没していた。記者は間道を使い、何とか車を藤沼湖に向けて走らせた。

 到着したころには、既に日が暮れかかっていた。東側からダムに入ると、すぐに行き止まりにぶつかった。目の前にあるはずの堤防は消え、湖底もあらわになっていた。「大変なことになった」。心の中でつぶやき、ひたすらカメラのシャッターを切った。この時、被害の全容までは気が回らなかった。濁流が集落を襲い、死者も出たことを知るのは翌日のことだ。

 間もなく本格的な捜索が始まったが、日々の紙面は沿岸部の津波被害や原発事故、住民避難に多くを割かれた。記者も人事異動で約2カ月後に須賀川を離れた。その後、本社や田村支局などを経て現在は坂下支局に勤務しているが、藤沼湖へは足が向かなかった。関心はあった。しかし「当時、十分に報じることができたのか」という思いが、後ろめたさになっていたのかもしれない。

◆「少しずつでも前に」

 あの日から7年を迎える。「藤沼湖決壊による被災者の会」の会長で、親族の中学2年の女子生徒を亡くした森清道さん(61)に現状を聞いた。新しくなった堤防を眺め「一見しただけでは、今では決壊のことは分かりませんね」と記者が話すと、森さんは何ともいえない表情を浮かべた。

 新しい堤防や、復興を願い下流に整備された防災公園を見ると、7年の時が過ぎたことを実感できる。ただ、身近な人を亡くした人たちの「時間」の流れは一定ではない。「今も気持ちの整理がつかない人がいる。決壊の話は集落ではあまり話題にしないね」。先ほどの表情の答えだった。

 藤沼湖では震災後、湖底にヤマアジサイが見つかり、「奇跡のあじさい」として全国に株分けされた。毎年3月11日の追悼式では年を追うごとに、思いを口にする遺族も増えてきているという。

 「少しずつでも前に進んでいる。あの時、取材していた人たちにも、どんな形でもいいから関わり続けてほしい」。森さんの言葉は記者の胸に重く響いた。(大内雄)

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