【震災7年・時間を超えて】記者ルポ(3)避難者交流の場に、いわき市南部

 
鮫川河川敷公園のパークゴルフ場で林さん(左)から現状を聞く鈴木記者

 いわき市南部をカバーする勿来支局に東日本大震災直後の2011(平成23)年4月まで3年間勤務した。管内は東日本大震災の津波で岩間、小浜両地区など沿岸部が甚大な被害を受けた。勿来を訪れるのは7年ぶり。震災直後の異動で「被害やその後を十分に伝えられなかった」との後ろめたさがあり、これまで訪ねることができなかった。

◆高い防潮堤に緑地

 小浜地区と植田地区を結ぶ海沿いの県道は海岸線が一望でき一番好きな場所だった。いわきに入り真っ先に車を走らせると、沿岸部には高い防潮堤が築かれ、防災緑地の設置が進むなど一変していた。景色の美しさに変わりはないが、整然とした姿に時間の経過を改めて痛感した。

◆パークゴルフの縁

 中心部の植田町に入り、鮫川河口から近い河川敷公園を歩くと、市民がパークゴルフを楽しむ懐かしい光景が目に入った。

 震災前の09年、市民手作りのパークゴルフ場のコースが誕生。憩いの場所となったが津波被害で壊滅状態となった。

 何度も取材し、実際にプレーをさせてもらったこともあったため、その後が気になっていた。当時競技への熱い思いを語ってくれた同市パークゴルフ協会長の林治生さん(82)に再会し、話を聞くことができた。現在プレーを楽しんでいるのはいわき市民と双葉郡から避難した人たち。「元々、双葉郡は競技が盛んな地域。皆さんの憩いの場が必要だった」と林さん。

 震災翌月から会員らががれきの撤去や整地に当たり、その年の9月にはコースを復元。避難者との交流を始めると会員のほぼ半数を双葉郡の人たちが占めた時期もあったという。

 市南部は温暖な気候。落ち着いた街並みはどこか双葉郡に似た雰囲気がある。双葉町役場が移転したこともあって、双葉郡からの避難者が多く暮らしている。市民と避難者の「あつれき」が指摘されたこともあった。林さんに状況を尋ねた。

 「ここに来る人たちはいわきだとか双葉だとか出身は誰も気にしていないですよ。双葉の人たちに教えてもらったりして純粋に楽しんでいるから」

◆盛り上げに一役

 双葉町民は「勿来夏まつり」や商店街で開催する歩行者天国に参加し、盛り上げに一役買っている。昨年のまつりには復興活動に取り組む芝浦工大の学生も加わった。

 学生らは直接的な復興活動だけでなく商店街と連携してグルメマップ作りなどでまちづくりに関わる。平や小名浜など市内他地区と比べ、震災前から空洞化が深刻だった市街地にも個性的でしゃれた飲食店が増えていた。

 「チャレンジしてくれる若い人たちが出てきた。遠くからも足を運んでもらえるようなまちにしたい」。うえだ商店会長の鈴木修一郎さん(64)の言葉が頼もしかった。

 震災は誰にとってもつらい経験だ。だが、それをきっかけに新たな人の交流が生まれ、まちが前より活気づいて見えた。(鈴木祐介)