"亡き父の牛"手放さず 佐藤さん、「畜産業」に新たな決意

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「目標を失わず前向きに頑張っていきたい」と牛の世話をする佐藤さん

 JA新ふくしま川俣飯野営農経済センターに勤務する佐藤正吾さん(26)は震災前、飯舘村の実家で父母と共に兼業農家を営んでいた。繁殖牛12頭を飼育し、コメや野菜も栽培していたが、2010(平成22)年11月に父=当時(54)=が他界した直後に震災と原発事故に遭遇した。

 佐藤さんは村が計画的避難区域となった後も「牛たちがいる以上、餌をやらなくてはならない」と、避難せずに自宅から通勤した。原発事故で将来が見通せない中、佐藤さんは今後について母親(51)と相談し、悩んだ末に「父が残した財産をすぐに手放すことはできない」と二本松市に空き牛舎と住宅を借り、母親と共に避難先での飼育を再開した。現在は毎朝5時起きで牛の世話をした後に出勤する生活を続けている。

 実家がある飯舘村の須萱地区は避難指示解除準備区域。避難先での生活に「周りから『大変だね』と言われるが、選択したのは自分。今でも、あの時の判断が正しかったのかは分からないし、誰も答えは出してくれない」と佐藤さん。実家から連れてきた8頭の牛に育成牛を加え、飼育する牛は震災前の12頭に戻した。佐藤さんは「今後もう少し増やして15頭ぐらいにしたい。この先どうなるか分からないが目標を失わず前向きに頑張りたい」と今後の希望を話す。

 伊達の佐藤さん、あんぽ柿作りに誇り

 東京電力福島第1原発事故のため生産自粛が続き、今季3年ぶりに出荷と加工を再開した県北地方特産の「あんぽ柿」。今季は「加工再開モデル地区」に限っての生産だったが、産地復活を全国にアピールする大きな一歩となった。

 「あんぽ柿作りにプライドがある。原発事故に負けていられない」。あんぽ柿発祥の地・伊達市梁川町五十沢の農家佐藤潤哉さん(40)は強い思いを語る。生産再開までの道のりが険しかった分、その喜びはひとしおだ。

 出荷を自粛した2011(平成23)年冬。果樹の放射性物質を少しでも取り除こうと、農家が協力して全樹木の高圧洗浄や樹皮剥ぎ取りを実施した。佐藤さんも参加したが、極寒の中での作業は「気が遠くなりそうだった」。翌年も出荷できずに肩を落としたが、「復活した時のために」と、畑の手入れは欠かさなかった。

 ようやく生産を再開した今季は、柿をつぶさなくても放射性セシウム濃度を測定できる検査機で全量検査し、安全性を確かめて出荷した。ただ、検査機の都合などで、佐藤さんが加工できた柿は例年の2割程度といい「物足りなかった」と振り返る。

 「来季はもっと多くむきたい。自分もお客さんも満足できるものを作り続け、常に前を向いていたい」。あんぽ柿に懸ける農家の情熱が産地を守っている。

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