進む復興拠点づくり 大熊復興計画、住める環境整備急ぐ

 
進む復興拠点づくり 大熊復興計画、住める環境整備急ぐ

東日本大震災から4年がたとうとしている大熊町中心市街地。左下がJR常磐線大野駅、右が町役場=2月28日午後2時50分、大熊町

 東日本大震災の発生から3月11日で丸4年の節目を迎える。東京電力福島第1原発事故による本県の避難者は12万人を切ったものの、いまだ県内には7万3000人、県外では4万5000人が不自由な暮らしを余儀なくされている。田村市や川内村の一部では避難指示が解除されたところがあるものの、事故前の状況にはほど遠い。原発周辺の4町で古里に「戻りたい」と考える人は2割にも満たない。双葉郡などの各町村は、放射線量の低い地区を復興の拠点として位置付け、古里を取り戻す歩みを一歩ずつ進めている。

 全町避難が続く大熊町は、町内の復興拠点・大川原地区整備などの「町土復興」と避難先の暮らしを安定させる「生活再建支援」を柱にした第2次復興計画を今月中に策定する。大川原地区の魅力を高め、将来は帰町が選択できるよう復興を進める。

 大川原地区では住宅や役場、医療、福祉、商業施設、研究拠点を整備し、2018(平成30)年度までに住める環境をつくる。太陽光発電施設や産業集積地区の造成は15年度から始め、植物工場や町民が一時滞在するゲストハウスは16年度の完成を目指すなど、町内で目に見える動きが出てくる見通しだ。一方、避難の長期化に伴い帰還を断念した町民の多くは、早急な生活再建の支援を求める。特に中間貯蔵施設の予定地内の町民は帰る場所がなくなるため、町は町民に代替地を確保するなどの支援策を講じる。施設受け入れに伴う交付金を十分に活用し、ニーズに合致するような支援策も検討している。

 合同会社で"農業再生" 畑川さん、再開を信じ仲間と旗揚げ 

 「農業の再開がなければ本当の復興ではない。古里の荒れ果てた農地を見るのは耐え難い」。大熊町の建設業畑川恵成さん(58)は、町民の主導で復興を後押ししようと、町内で農業関連事業を進める合同会社「おおくま未来」を設立し、農業再生に向けて動きだした。

 畑川さんは水田1.4ヘクタールでコメを作る兼業農家で町農業委員も務める。建設会社は震災後すぐに業務を再開し、東京電力福島第1原発の復旧や町内除染に携わる中、農業再開を一時諦めた。しかし、土に触れる楽しみ、収穫の喜びは忘れられなかった。「進む農地の荒廃に歯止めをかけるため、動きださなければならない」

 合同会社は町内の専業・兼業農家9人で組織し、畑川さんが代表社員に就く。事業は農産物の生産加工販売、農作業の受託、除染後の農地管理などを行う。まずは町内の復興拠点・大川原地区に農家有志が菜の花を栽培し、放射性物質の移行調査や農業従事者の被ばく調査などに着手する。

 震災5年目に入るが、復興が進まない現状をもどかしく感じる。「放射性物質の影響もあり険しい道となるが、新しい農業の形がきっとある。町民が帰還した時、スムーズに農業再開できるよう貢献していきたい」と抱負を語る。